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(2004年1月15日発行)

* 警察見張番だより **号
***** もくじ *****

お読みになりたい項目をクリックしてください。

     ● 新年にあたって       (弁護士 佐久間哲雄)

     ● 神奈川県警に情報公開請求をした (弁護士 鈴木 健)

     ● 「見張番」に寄せられたメールより
                   (ウエブサイト担当者 柿坂寛之)

     ● 日本の警察制度の誕生とその変容 (東京・社会人学生)

     ● <事務局より>

     ● 編集後記

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● 新年にあたって       (弁護士 佐久間哲雄)

 明けましておめでとうございます。
私には、70回目の正月となりましたが、いくつになっても新たなスタート地点に立った
ような気分になります。
 12年前の1992年、アメリカでは片田舎ともいうべきアーカンソー州の青年知事ク
リントンが、“チェンジ”と旗を立てて現職大統領の再選を阻み、アメリカ大統領に就任
しました。クリントンは、日本に圧倒されていた重厚長大産業から情報産業へと構造改革
を押し進めました。今日のアメリカの覇権は、この産業構造の大転換の成果といえると思
います。

 ヨーロッパは、何百年もの対立抗争を克服してEUとしてまとまり、その通貨ユーロと
アメリカのドルは、通貨の覇権を巡ってものすごいせめぎあいをやっています。1992
年秋、私は、労働紛争の解決のしくみを勉強するためヨーロッパに行っておりまして、ち
ょうどデンマークでEU通貨統合条約について国民投票が行われる場面に立ち会いました。
予想では賛否半々とされ、ヨーロッパ中が投票結果に固唾をのんで見守っている空気に触
れることができました。今日のユーロの勢いを見るとき、感慨無量です。

 アジアでは,1998年の通貨危機で中国を除く多くの国が大きな打撃を受けましたが、
現在ではすっかり立ち直ったように見えます。中国、韓国の経済発展ぶりは、いろいろな
問題はあるのでしょうが、目をみはるものがあります。タイ、マレーシアなどのアセアン
諸国も概ね元気です。

 日本は、1990年代に入ってから11人の総理大臣が次々に登場しました。いずれの
総理大臣も改革を唱えましたが、ぱっとした成果のないままで終わったと言われています。
 本当に日本は変わっていないのでしょうか。そんなことはないと思います。守旧派の巣
のように言われている自民党すら、ものすごく変わってきていると思います。派閥が気息
エンエンの状態であることは誰の目にも明らかでしょう。党執行部がコントロールできな
かった党税制調査会は自然消滅状態です。先般の選挙では、二世議員候補が枕を並べて落
選しました。民主党、共産党、社民党などが激動に見舞われていることは明らかです。
 改革を進めるやり方も国によって違いがあるのは当然です。それぞれ歴史をひきずり、
国民の気風も違います。日本は日本のやり方で改革が進んでいるのだと思います。

 警察見張番も、日本の警察の歴史、優れた点、悪い面を市民の目で謙虚な気持で率直に
捉え、着実に運動を進めていけばいいと思います。
 焦らずゆるまず希望をもって、運動を進めて行きましょう。

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● 神奈川県警に情報公開請求をした (弁護士 鈴木 健)

1 昨年11月18日、全国の市民オンブズマン組織が一斉に情報公開請求を行い、
それに伴う形で、我が警察見張番も、神奈川県警に対し情報公開請求を行った。今回
請求をした項目は以下のとおり。

【全国市民オンブズマン組織と共通のもの】
@県警本部監査関係資料
A県警の激励慰労費支出関係資料

【警察見張番独自のもの】
B県警交通総務課の旅費の旅行命令簿・復命書
C加賀町警察交通課の捜査費、参考人費用弁償支出関係資料
D規律違反台帳

このうち、@は公開期間延長決定がなされたため、今日現在でまだ開示されていない。
(*近く公開予定)Bは、旅行命令簿は一部開示されたが、復命書は不存在として開示
されなかった。Cについても、執行・支出がなく不存在とのことであった。
 したがって、今日現在で開示済みであるのは、Aの県警の激励慰労費支出関係資料
、Bのうちの県警交通総務課の旅行命令簿、D規律違反台帳、であるので、これらにつ
き、どのような部分が非開示とされたのか、開示された資料から読みとれることは何か
につき、以下に気付いたことをまとめてみる。

2 県警の激励慰労費支出関係資料について
 非開示とされた部分は二つある。一つは領収書の印影部分(及び科によっては領収書
上の個人名)で、理由は、「特定個人が識別され、若しくは識別され得る情報に該当す
るため」となっている(*資料2)。もう一つは、激励慰労費と他の捜査費の支出伺い
が一枚の書面でなされている場合の、他の捜査費に関係する職員の氏名、官職、支出金
額・事由、交付年月日及び支出件数が分かる情報で、理由は、「公開することにより、
捜査費の個々の執行状況が明らかとなり、捜査活動等の状況が推認され、犯罪の捜査等
に支障を及ぼすおそれがある情報に該当するため」となっている(*資料1)。
 「他の捜査費」に関する情報が不開示とされたことの当否は別として、今回請求した
のは激励慰労費支出関係資料であるから、それに限っていえば、ほとんど全部開示され
たと評価できるのではないか。以前大内顕さん(元警視庁職員)のお話で、架空の捜査
費領収書を電話帳などを使って捏造し、幹部に裏金を流していた事実が明らかにされた
が、この激励慰労費に関しては、領収書に記載された店の住所や屋号も墨塗りされてい
ない。激励慰労費の部分で裏金を作り出しているわけではないから堂々と開示できると
いうことなのであろう。

 支出内容を見ると、部長以上の激励慰労会については、大体参加人数×3000円で
行うと相場が決まっているようだ(中には2000円のものもあった。もっとも、それ
だけの人数が本当に集まったかについての証拠はないのであるが)。領収書
の宛名も、新横浜プリンスホテルが目を引くくらいで(それでも換算は1人3000円)、
ダイクマやFUJIスーパー、ダイソー(皆さんご存じの100円ショップ)など安売
り店のものも散見された。激励慰労の内容によっては、リポビタンD150本やバナナ
3箱の支給などもあった。案外、慎ましく執り行っているのかも知れない。

3 県警交通総務課の旅行命令簿について
 まず、支給を受けた者の氏名は、警部以上の者は明らかにされているが、警部補以下
の者は不開示となっている。行程については、支給を受けた者の自宅が関わっている場
合に一部不開示とされ、その場合の「旅行雑費」欄も不開示とされている(*資料3)。

 内容は、総務課を対象としたからか、「交通安全教育」「会議用務」「事務連絡」と
いったものが多い。一部「事故現地診断」という内容があったが、総務課の者が交通事
故現地に何をしに行くということなのであろうか。

 (*なお、仙台市民オンブズマンが、宮城県警の旅費・食料費に対しての情報公開請
求をした際、警部補級以下の総務室職員の名前を非公開にしたことを不当であるとして、
非開示処分の取り消しを求める訴訟を起こし、仙台高裁は、処分取り消しを命じた。
04年1月6日までに「被告の宮城県が上告しない方針を県警に伝え」、仙台高裁の判
決が確定した。添付新聞記事参照)

 また、鉄道運賃の他に、旅行1回について200円の旅行雑費が支払われることにな
っているようだ。

4 規律違反台帳について
 所属庁、氏名年齢、刑事手続に付された場合の最終的な処分の内容は、すべて不開示
である(*資料4)。これらの情報の中には、既に新聞などに掲載されているものも多
く、いまさら不開示とする必要性に乏しいと思われる。それでも不開示としたのは、県
警が自ら情報開示するわけにはいかないという面子の問題なのであろうか。
 それでも、2003年1〜10月までの間に、どの階級の警察官がどんな事件を起こ
し、どのような署内処分を受けたかは見て取れる。まず驚くのは、例年より数は減って
いるものの、その件数の多さである。10か月間に89件の規律違反が認知されている。
最もこの中には、ある警察官の規律違反に対するその上司の監督責任を問われたものも
あるので、案件として重なっているものもあるのであるが、それにしても月平均10件
近くというのは多くないか。

 規律違反の内容別に見ると、「捜査不適正」「捜査書類提出遅延」「公用品紛失」
「留置業務不適正」「手帳証票紛失」「無許可営業」といった、公務の適正な執行に関
わる内容のもの約50件、「速度超過違反」「飲酒上の傷害」「酒気帯び人身
事故」「詐欺・窃盗」といった、刑法犯となるもの約30件、「異性関係」「不相応な
借財」といった、警察官の私事にかかわるもの約10件、となっている。
 目を引いたのが、「被害届提出失念」「少年事件未処理」「情報漏洩の監督責任」
「公用文書破棄及び証拠隠滅」「係会費の流用」といった事実である。これらのことが
警察署内部で行われていたのでは、国民の警察に対する信頼は保ち得ない。しかも、
上記89件のうち、約半数の37件は、警視・警部・警部補の階級の者によって起こさ
れている。

5 まとめ
  今回は、比較的警察の方でも情報開示しやすいと思われる部分に着目して請求をかけ
た結果、まあまあ無難な開示結果となったように思う。が、「他の捜査費」に関する資
料や、規律違反者の所属庁・氏名年齢など、「警察にとって本当に知られたくない事項」
についてのガードの堅さは、依然として変わっていないと評価できる。今後も機会を見計
らって請求をかけ、徐々に「本当に知られたくない事項」に迫っていきたいと思う。

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● 「見張番」に寄せられたメールより
   (ウエブサイト担当者 柿坂寛之)

 あけましておめでとうございます。
 この「見張番」のホームページもよそおい新たに再開してから、一年を経過しました。
まだまだ不十分なホームページですが、多くの方が訪れてくださり、そのなかで、いろ
いろなメールを寄せていただいています。
 そうしたメールの中から、二つほどをご紹介いたします。(プライバシーその他の保
護のため、時間・場所などが特定できないように一部書き換えさせていただきました。)
 
@ @ @ 
その@
 先日、知り合いが神奈川にいるものですから遊びに行った帰り都内まで足をのばし、
つい帰りが遅くなり深夜近くになりましたが、暇だったので、国道をブラブラしながら
帰宅しました。
 その際に気がついたのですが、都内を走っているときは、交番のお巡りさんの姿が見
え、夜中であるのに入口のドアを開けて立っており頼もしいと感じましたが、神奈川県
内に入った途端、交番にお巡りさんの姿はなく、交番のドアも閉まった状態でした。
都内との差があまりにもあったので寂しさを感じました。交番にいる姿を見て私達は安
心するものです。 
@ 
 神奈川県の交番に警官がいないことは、地域でも問題になっていますが、東京とそん
なに目に見える形でちがうことをこのメールで知りました。
 いま警官の増員が図られていますが、私たちの生活の安全に必要な身近な警官はあま
り増員されず、国民を監視する「公安」警察の増員が進められています。これがすすむ
と常に警察に監視され管理される住みにくい社会になりかねません。こうした問題点も
知らせていく必要があると感じました。

そのA
 警察の暴力について相談があります。
 カラオケやの騒ぎで警察署で事情を聞かれた後、両者の和解が成立しました。その後、
忘れ物を警察署にとりに戻ると事情を聞いていた警察の一人に取調室に連れられて頭部
を殴られました。
 もう事情説明が終わった後でしたが「この中だったら何をやってもいいんだ」と言い
周りに警官がいないことを確認してから殴りつけむなぐらや襟首をつかんで引き回され
ました。
 殴られたときにメガネが完全にゆがんでしまいました。
 こういうときに何か手段はないのでしょうか? 
@ 
 こうした告発系の相談メールが多いのも特徴です。「見張番」は情報公開を通じて警
察を監視していこうとする市民団体なので、こうしたご相談一つ一つに対応できないの
が実情で、近隣の弁護士会などをご紹介させていただいております。
 しかし、こうした密室での警察の犯罪を知ってそのままにできない、という義憤が沸
き起こります。警察見張番としてこうした不正にも関われる実力を早くもちたいものだ
なあと思っています。
 もちろんネット上の情報は一つ一つ自己責任で真偽を見分ける責任があることを前提
としていかなければなりませんが。

 最後になりましたが、少しでもよりよいホームページに改善していきたいと思います
ので、忌憚のないご意見を、下記のアドレスまでお寄せください。お待ちしております。

(なお、ご意見はファックスで事務局までお寄せくださっても結構です。編集子)  

目次へ :
     
● 日本の警察制度の誕生とその変容 (東京・社会人学生)
 

@はじめに
 私は、大学で法律学を専攻しています。私の指導教授は、法律を学ぶことは「人を愛
することであり、人間というものを知ることだ」と言っていますが、私はどうしても判
例法理の流れや細かい学説の対立などに心がとらわれ、読む本も新聞の記事もそっち系
の記事ばかりに目がいってしまいがちです。
 最近、「警察見張番」HPで、「検察調書があかす警察の犯罪」という書籍のことを
知り読みました。その読後感をメールで送ったところ、「警察見張番だより」12号に
掲載されました。その広報誌12号を読ませて頂き、私の勝手な推測で恐縮なのですが、
「見張り番」の活動も人を愛するということに帰するのではないかと思います。警察制
度が取り入れられた時、初代警視総監の川路利良は「警察官は、市民の母であれ」と訓
辞したそうです。神奈川県警の組織ぐるみの犯罪を読みながら、初期の日本の警察制度
について思い返していました。
 
@日本の警察制度の誕生
 江戸時代の「警察制度」は、半七捕物帖などでもおなじみですが、町奉行所の下、
与力・同心・岡っ引き・手先・下っ引きと呼ばれる人々によって町の治安が守られてい
ました。その後、徳川幕府が倒れ、明治維新政府樹立後、新都・東京の治安は、ら卒と
よばれる官軍の兵があてられていました。やがて、ヨーロッパのような統率された治安
組織を必要とした新政府の参議・西郷隆盛は、同郷の薩摩藩の下級武士川路利良に命じ
て、東京警視庁を創設します。その川路利良は、明治5年(1872年)、欧州使節団
の一員としてフランスへ渡り、警察制度を学びます。帰国後、市民型の警察であるパリ
警視庁をモデルに警察制度をスタートさせました。何故、フランスかという点は定かで
はありませんが、当時の日本の法体系がフランスをモデルにしていたことも一因だと考
えられます。司法大臣であり警察を作るのに貢献した江藤新平もフランス法支持者でし
た。また当時は、警官のことをフランスに習ってポリスと呼んでいました。川路利良は、
フランスの警察制度に感心するだけでなく、治安のために街を歩き回っているポリスの
存在に感銘したようです。それが、前記「警察官は市民の母であれ」という言葉になっ
たのでしょう。
 その川路利良は、彼の理想としたパリ警視庁のあるフランスを二度目に視察している
最中に病になり、日本に帰国して自らの理想と現実のギャップに苛まれながら死去しま
した。市民自治の警察制度を取り入れる川路の夢は、果たせませんでした。日本は、そ
の後ドイツ型の強大な中央集権国家を目指して、自由民権運動を弾圧します。そしてそ
の取締に警察が充てられることになります。こうして警察の本来の在り方から外れてい
きました。

@変容していく明治警察
 治安の維持を目的とし、市民の護民官としてスタートした警察でしたが、時代の要請
からその性質を変えていきます。新政府が特に頭を悩ましたのが、各地での士族たちの
反乱でした。そのため初代警視総監・川路利良は、各地に警視庁の密偵を潜入させて、
その動向を監視します。廃藩置県、廃刀令などでこれまでの特権を取りあげられ、失職
した士族の不満は新政府の改革に向けられ各地で反乱が起きます。萩の神風連の乱、元
司法大臣江藤新平が率いた佐賀の乱などです。皮肉にも江藤新平は、自らが心血を注い
ででつくりあげた警察によって捕らえられることになります。やがて情勢は、不平士族
たちによって祭りあげられた西郷隆盛と新政府が戦火を交えることになり、警察もその
政争に巻き込まれていきました。 

@本来の任務から政治的利用へ
 警視庁の川路利良大警視は鹿児島に警視庁の密偵を派遣します。目的は西郷隆盛と彼
を取り巻く私学校の動向監視です。やがて、密偵たちは鹿児島県警察に捕らえられ、そ
の一人中原小警部は潜入の目的を「しさつ」と自白します。この「しさつ」が視察なの
か刺殺なのか定かではないのですが、西郷軍の幹部たちは、刺殺と捉えて一挙に戦争へ
と突入します。
 火力に優る新政府軍を悩ませたのが、銃撃戦の後の薩摩隼人の切り込みでした。町民
農民中心で構成されている新政府軍にとって迫兵戦になると手も足も出ない状況になり
ました。そこで士族出身者の多い、巡査隊から切り込み専門の部隊を編成します。これ
が警視庁抜刀隊です。警察官として、奉職した者を兵士にするということで、内務省の
中からも異論もありましたが時局に押し切られ、抜刀隊は出動します。旧幕臣の士族が、
警察には多かったので、戊辰戦争の恨みを晴らすためにも奮戦します。激戦となった田
原坂でも戦果をあげ、西郷軍を圧迫していきました。その後、西郷が自刀して西南戦争
は終わり、士族たちの反乱も治まります。

 川路利良は、西南戦争後、市民自治の警察を目指して、再び欧州の警察の視察にでか
けます。しかし途中で、体調を崩し日本に帰国後病死します。恩師である西郷と故郷の
鹿児島を滅ぼしてまで、川路が作ろうとした国家とはなんだったのでしょう。それに呼
応するかのように、警察の政治色が強くなっていきました。

@国家警察化へと向かう
 明治政府にとって、西欧列強に対抗していくため、国内の近代化を推進するのが急務
でした。特に法体系の整備、とりわけ憲法の制定が必要でした。天皇中心の立憲君主の
憲法です。そのためには、国内で活発になってきた自由民権運動を封じこめる必要があ
りました。民権派の弁士がたつ演説会場には、巡査が立ち会い政府批判をしようものな
ら、拘束されていきました。言論の自由も集会の自由もこの時代では、許されなかった
のでしょう。その後、ドイツ型の大日本帝国憲法が制定されます。

 20世紀に入り、資本主義の矛盾から、社会主義運動が活発になり人類初めての社会
主義国ソビエト連邦が誕生します。国際コミンテルンの運動は、やがて日本にも波及し
ます。君主制を否定する社会主義運動は当局の取締対象になります。折りからの世界恐
慌から、社会主義運動は、国内で活発になります。また、政府要人を狙った、右翼テロ
も頻発します。こうした動きを封じこめるため政府は、治安維持法を制定し、警察内に
特別高等警察(特高)を設置しました。やがて戦争が激しくなると、特高の取締は常軌を
逸し、社会主義運動と関係のない市民まで逮捕、投獄されました。プロレタリア作家
小林多喜二の死は、あまりにも悲劇的です。
 戦後GHQによって、「民主警察」に生まれ変わり特高は、廃止され自治体ごとに警察が
置かれましたが、冷戦の始まり、安保闘争などから警察の政治的色彩を払拭することは
できませんでした。冷戦終結後も、オウム真理教や国際テロ組織の暗躍などもあり、政
治色はさらに強くなってきています。

@むすびに代えて
 確かに、私たちを取り巻く治安の状況は良好とは言えず、個別的に事件を摘発してい
く刑事警察の捜査手法だけでは対応できないのが現状でしょう。組織化し、地下に潜る
犯罪集団については、首謀者を捕らえて、組織を壊滅させる必要があります。そうした
意味からも、公安警察的捜査手法も、ある程度は、是認しなければならないのは分かり
ます。もともと捜査は、密行性のあるものです。しかし、密行性の中で、市民の人権が
損なわれたり、組織ぐるみの犯罪が隠されるのは問題です。刑事訴訟法第1条は、その目
的として、真実発見と人権保障を規定しています。どちらも大切な要請です。私たちは、
警察の活動を監視し本当に市民の為に働く警察にしなければなりません。私たちの活動
の目的は、捜査機関を萎縮させることではありません。警官と言えども人間がやってい
る以上間違いを犯すでしょう。その間違いを認めて改善する勇気がもてた時こそ、警察
が変われる時だとおもいます。人間は、隠された状態にあると自浄能力を失うものです。
現在、公安委員会という監視機関がありますが、ちゃんと機能しているのか疑問です。
そういう意味でも、市民による「見張番」の存在は重要になってきます。

 また、警察に民主的統制を及ぼすには、つまるところ選挙で私たちの声を反映してく
れる政治家を選び、国政に送り出すのが最良です。警察のトップは、内閣総理大臣であ
るし、監督する自治大臣、国家公安委員長も国会議員から選ばれるのが通例だからです。
そういう意味で、私たち自身が、問われているということにもなります。
 長くなりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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