警察見張番だより17号の2
(2005.03.07.)

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見張番だより17号の2 もくじ***

● "警察は保傳"に思う               (石川 利夫) 

● 刑事告発@体験記                (間瀬 辰男) 

● つれづれコーナー     (不良少年・遠藤 真木・石田美智子)

● 編集後記


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● "警察は保傳"に思う  (日本国民救援会会員:石川 利夫)
 日本の警察に、「一国は一家なり。政府は父母なり。人民は子なり。警察は保傳なり」
という川路利良の言葉があります。この言葉の裏、つまり実態は「おいこら警察」でした。
警察始まって以来、そうでした。

●作家・廣津和郎氏のエッセイより
 戦後まもない1949年に福島県で起きた列車転覆の犯人として、国鉄・東芝それぞれ
の労組員各10名(計20名)が逮捕された、所謂「松川事件」を、裁判記録によって無
実を論証し、全国的な救援運動となった「松川裁判」。約10年をこの20名の労働者の
救出のために捧げ「松川裁判」を雑誌に連載した廣津和郎氏が、1936年(昭和11年)
12月に発表した「心臓の問題」というエッセイで、二・二六事件当時の雰囲気とご自身
の狭心症について書いた後に、新宿の交差点で散歩していた時の経験を書いています。
散歩は、心臓の養生法でした。

* * * 
一緒に歩いていた息子に巡査が、
「おい、一寸用がある」
「何ですか?」と長男が立ち止まって振り向いた。「そうだ一寸こっちに来い!」巡査は
先にたって、あの派出所の箱の中に長男を引っ張っていった。
心臓が必要以上に波立ち始め、急いで派出所へ行った私は、
「どうしたのですか?」
「そこに立っちゃいかん。向こうに行ってろ!」
と手で払いのけるような格好で私に言う。

「何の用なんです?僕はこれの父親なのだが・・・」
「父親?ふん、父親か、父親でもかまわん。この男を調べる事がある。向こうに行っていろ」
「何かの間違いで調べるにしても、われわれ浮浪人ではないのだから、もう少し丁寧にした
らどうです」
「なに、浮浪人ではない。ふん、地位や名誉があれば尚更面白い。君は警察というものを知
るまい。訊問、検束、みな自由なのだぞ。よいか。この帳面を見せるわけにはいかないが、
署から達しがきているんだ。よいか。このオーバーの色と年齢と背格好が符号するんだ。
君は何者だか知らんが、警察というものを知るまい」

         * * *     
と廣津さんはその場面を描写しています。帝国憲法成立時の頃です。
故江木衷博士が「国内の安定をはかるために、その当時の自由民権の思想を取り入れ、日本
帝国臣民は自由である、と先ず冒頭にそれを持って来て、人々を喜ばせておきながら、いつ
警察に引っぱられても、誰も文句のいいようのない憲法を作ってしまった。」――と書いて
いたのを思い出しました。

 
 
 やがて、交番に引っ張り込まれた息子さんは、「箱」の中から出されます。「『学生証』
を見せろというので、それを見せたら決着したが、散歩の気分もなくなり帰宅。警視総監に
手紙を書きかけたが、疲れを感じて止めた」と廣津さんは続けています。

●おいこら警察が保傳(ほふ)とは・・・?
 「おいこら警察」というのが、すでに明治31年(1898年)に警察庁が出した「警察
官の人民に対する用語標準」で、車夫馬丁若しくは、これに準ずるもの等又はそれ以下の者
に対しては第二用語標準による、と決めて一般の人に使う第一用語標準と区別したといいま
す。それが、「おいこら」「何か」「おいおい」「しばらく待て」とか、呼び捨てになって
いるそうです。
 僕にもこれに類した経験がありました。1943年(昭和18年)の夏のことです。旧制
高校3年を卒業したところでした。前年から、教育期間3年が半年短縮になりました。中学
も小学校も大学も、勤労動員に出された時代で、高校の学年も2年半になったのです。そこ
で、大学入試も真夏となり、暑くて入試会場の後ろに氷柱が立てられていた記憶があります。
 その帰りのことです。「近く兵隊に取られる。人生二十数歳が寿命」と思い決めていた時
代でした。奈良見物で、奈良の街を歩いていました。暑い盛りで、上着も着ていなかっただ
ろうと思います。「おいこら!」と巡査に呼び止められました。「おまえ、今頃、この真っ
昼間に何でこんな所をうろついているんだ?」とやられたのです。当時は、若者がうろつい
たり、特に男女一緒に歩いたりしていると、すぐ「おいこら」と呼び止められる時代でした。
「学制が変わり教育期間短縮で高校卒業し、今大学入試の帰りだ」と言っても、「今頃入学
試験があるはずはない」と言い張り、分からせるのに一苦労した記憶があります。
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦の時に、特高がやってきてもいいよ
うにと、日記を焼き捨てた友人の話も聞いた時代です。

 この頃の勤労動員や疎開の上に、高校・専門学校・大学の期間短縮したのは、不足する
中堅幹部と特攻要員を緊急動員するための徴兵猶予の停止で、学徒出陣となるのでした。
それを支えた治安対策で、警察、特に特高警察が重要な働きをしたものです。
●戦後の警察は変わった?      
 戦後も、進駐軍の支配下ではありましたが、その中で警察は、特に特高警察は刑事警察に
優先する公安警察として、生き残り、追放解除で元内務省警察官僚も、復活します。
 私が松江在勤中でした。私の職場に警官がやってきて、在勤者全員の住所・年齢等を知ら
せてくれ、と言いました。私が「それは、職員個々の了解を得ていないから教えることは出
来ない」と断りましたら、「前任者からは知らせてもらった」と言います。「前任者はとも
かく、私はダメだよ」と返事して終わりました。1960年代後半の頃でした。

しばらくすると、私の自宅に、駐在から戸口調査に来ました。少し大人気ないかと思いまし
たが、GHQの命令で戸口調査はなくなったはずではないか、と断りました。家にいる人の
名前・年齢・職場などを質問したからです。すると、警官は「交通事故などにあった時の、
本人確認に手間取ることがありますよ。それでもいいですか」と言います。「そうした時の
本人確認は、貴方たちの本来の仕事じゃないですか。人を脅迫するようなことは言わないで
ください」と反駁しました。隣の部屋で聞いていた息子が、「これでまた睨まれることにな
ったよ」と言ったものです。今は、一軒一軒訪ねて戸口調査をするやり方はなくなり、一時
は町内会から聞かれるような形になったかと思いますが、みなさんの所ではどういうやり方
がなされていますか。

●今は民主的な警察になった・・・のか?
 緒方靖夫氏(当時日本共産党国際部長)の自宅電話を神奈川県警が盗聴した事件が
1981年11月に発覚。告発しても取り上げず、やむを得ず家族は国家賠償請求裁判、
神奈川では県民有志が、盗聴に使った金を県に返せと住民訴訟を起こし、勝利した以後、
神奈川県では次々と、県警の「不祥事」が続発し、ついには渡邊元県警本部長が、現職警官
の覚醒剤事件を隠蔽した犯罪が、判決(2000・5・29)で明らかにされるに至りました。また、
現職警官春田長雄さんの娘さんの交通事故に関する裁判と警察からの数々の嫌がらせ
(損害賠償訴訟)、交通事故で瀕死の運転者を放置して死に至らせた「保土ヶ谷事件」など
を見ていると、今も戦前の警察の体質を引きずっていると感じます。特に1998年(平成
10年)9月3日の本部長指示で、警察運営の考え方の基本に、
(1)県民と共にある県警、(2)持てる力を最大限に発揮、(3)生き甲斐と誇りをあげ、
危機管理と組織防衛に触れて、「不祥事とは何か」と
自問し、「事案があっただけでは、不祥事ではない。これがマスコミに騒がれてはじめて不
祥事となる」「事を小さくおさめる。物事は二重三重の帳簿で処理していく。危機管理とは
責任である」と述べていた。
この言葉を知った時には、支配者の権力に驕る姿を、ここまで堕落しているのかと愕然とし
たものです。これが、人民の保傳(ほふ)を自認した警察の姿なんでしょうか。
                            
 警察法に詳しかった戒能通孝先生が、新憲法施行後、1951年の著書「市民の自由」の
「序」で、「従来は裁判官は、法律が憲法によって無効になるかも知れない、という思想に
はなれていなかった。ある種の行政官に至っては、今ですら法律に関する常識を逆にして、
憲法よりも法律が上、法律よりは規則が上、規則よりも訓令や通牒が上、であるかのように」
思っていると警告していた。「ある種の行政官」とは、警察官のことです。
新憲法下でも「公共の福祉」なるものが、「大の虫のために小の虫」を殺す論理を生む恐れ
がある、と警告されていたことを、今の我々への警告と受け止めています。


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● 刑事告発@体験記  (間瀬 辰男)
ニュースになって
小生が告発した事件が、12月1日付読売朝刊と夕刊、毎日夕刊、2日付朝日、神奈川朝刊、
1日のNHK,日本テレビで報道された。以上は小生が知る範囲であり他にもあるかもしれ
ない。事件は、江の島電鉄が運輸局へ無届でバスを運行していたことについて警察が書類送
検したというニュース性に富んでいるとはいい難い内容である。にもかかわらずこのような
事件が大きく取り上げられたのは、18年間も続いていたということと、マスコミのアンテ
ナに同調した世相が背景にあったからであろう。西武鉄道、三菱自動車、三井物産といずれ
も対象が大企業で国土交通省所管の事業または事柄について監督官庁の責任または企業の法
令順守意識が問われる事件が続いたからである。(添付資料参照)

告発をして分かったこと
告発したのは03年7月7日であるからかなりの時間を要したことになるが、事件が行政刑
法という範囲に属し、普段は警察も扱いなれていない分野の事件であるからやむを得ないこ
とであろう。
なぜ告発という手段を使うにいたったかということについて詳細に述べたいが、この場はそ
れに馴染まない面があるので割愛したい。一言で言えることは、他に法的方法が無かったか
らということであろうか。もう一言加えれば、監督官庁の怠慢を質すにはこれしか方法がな
かった、少なくとも小生の能力の範囲ではということであるが。当初、小生は関東運輸局に
行政権を行使させて是正させようとしたが、官庁側にできない事情があった。つまり、過去
の馴れ合い行政の延長線上にある問題であるからである。それ故、刑事訴訟法第239条第
2項「官吏または公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発し
なければならない」を引いて関東運輸局長に内容証明郵便で告発を促したが梨のつぶてであ
った。
そこで告発状を作り所轄警察署を訪れたが、まず窓口がはっきりしない。長らく待たされた
挙句これでよいということになったので、用意していった写しに受理の表示を求めたところ、
そういうことをする規則が警察にはないので、そういうことはできないと断られた。そこで
県警本部に行ったがもっと時間をかけられた挙句、ここで受け付けても最終的には所轄警察
署に回送することになるので所轄警察署に話を通しておいたから所轄警察署に出したらどう
かと言われ、また、所轄警察署に戻り提出は完了した。しかし、本当に処理されるのか大い
に不安が残った。不透明感というのはこういうことを言うのかと体験により実感した次第で
ある。裁判所や市役所などでは必ず受領書をくれる。物を受け取ったら必ず受領書がもらえ
るものだと思い込んでいた小生にとってはまことに不可解なことであった。このことは見張
番の例会でも報告した。ここら辺の警察の体制は改善してもらいたいものである。

その後追加告発する事があったので、このときは配達証明付で郵送した。押し問答の気まず
い思いをしたくなかったらこの方法がお勧めである。
しばらく経って、告発人調書作成したいとの連絡が入り取りあえず不安は解消した。調書の
作成は、間を置いて2日間、時に世間話も交え延6時間を要したが、この時は担当の警察官
の親切な対応もあり長時間を要したことにこちらが恐縮した。恐縮した理由を具体的に羅列
したいがかえって迷惑をかけることになるかもしれないので差し控えることにする。
私人が主体的にできること  
余談ではあるが、刑事訴訟法上私人が主体的にできる手続は、告訴と告発である。告訴は被
害者だけができる。告発は「何人でも、犯罪があると思料するときは告発することができる」
のである。つまり、告発は、被害者のある犯罪の被害者でないもの又は被害者のない犯罪に
おいて機能するのである。言わば、物好きのすることである。ところで、最近気が付いたこ
とがある。それは被害届のことである。立川の自衛隊官舎へのビラ投入を住居侵入罪で起訴
した事件で証拠提出された被害届は警察が作成用意したものに印を押しただけということが
法廷で明らかにされた。現実の世の中では被害届が多用されている。しかし、被害届に法律
上の根拠は無い。法律上の根拠の無い、つまり、刑事手続としての根拠のない書類が正当な
制度であるかの如く流布している現状をどう考えたらよいのであろうか。微罪に被害届を出
させ起訴する。重大事件を被害届だけで済ませる。被害届と告訴の違いは、訴追を求める意
思表示が含まれるか否かにあるとされている。この違いを知らしめていないところに警察の
隠れ蓑があるのではないだろうか。

犯罪被害者基本法が今国会で成立し、被害者のある犯罪の問題である告訴については一応体
裁が整えられてきた。しかし、被害者の無い犯罪あるいは被害者以外のものの問題である告
発については変わらないままである。告発者の疎外感はこれからも続く。

そして今
そんなことを考えていた1ヵ月後平成17年1月6日付けで検察庁から「処分通知書」が送
付された。内容は単に「不起訴」とだけ記されていた。そこで、刑事訴訟法第261条に基
づき不起訴理由の告知請求書を検察庁に送付した。2日後に「処分通知書」が送付され「起
訴猶予」とあった。

現在、検察審査会に審査請求する準備を進めている。

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● つれづれコーナー (不良少年・遠藤 真木・石田美智子)
その@ 不良 少年
           
●今年の1月21日付けの毎日新聞によると、愛媛県警巡査部長が「裏金偽造領収書作りを
強要された」との内部告発をした。現職警官では初めてだ。その4日後に、鉄道警察隊にい
たのが通信司令室(官職)へと異動させられた。報復人事ではない(?)、と警務課長の談
話があった。東京新聞(1/25)には、捜査費偽造疑惑で報復?とあった。

●裏金問題が全国で発覚しているのに!!
出世したいのなら裏金づくりに加担しろ!と上司に強要された。脅しと騙しのテクニックは、
お手のもの。その後、イジメやイヤガラセが続いたそうだ。腐った官僚組織は警察だけでは
ないが、体制維持の暴力機構だけに、市民はもっと関心を持つべきだ!!

●これだけ全国規模で暴かれても・・・、
警察組織はびくともしない。新聞の一度や二度の記事ではダメだ。しつこく何度も何度も報
道しなければ!!
なにしろ明治以来の庶民抑圧機構はチットやソットの抵抗では変わらない。政府の番犬・公
安警察は、まだまだイバリクサルだろう。
●非行防止の名の下で、
学校・警察の連絡制度が17都道府県で導入されている(神奈川新聞2/24)。学校で起
きている犯罪の原因を調べもしないうちから子ども達を逮捕・補導の対象にする。まるで、
アメリカが、9・11事件を待っていたかのようにアフガン&イラクを攻撃した時と同じだ。
アメリカ軍のマネだ!!学校の教師や子どもを警察の監視下に組み入れて、社会全体を警察
監視の安全(?)社会にしようとしている。

●盗聴法、共謀罪法、個人情報保護法等の悪法を取り入れて、その次に憲法を改悪して戦争
ができる国づくりの始まりである。どうして市民は怒らないのか!唄を忘れたカナリヤか!


そのA 遠藤 真木

              
5年が始まったばかりですが、各メディアでは、憲法前文を全面改正する方針だとか、九条
をどう変えるかについての報道が多くなっています。そして、親による子ども虐待も、児童
買春・児童ポルノも、ニートが増えていることも、ぜ〜んぶ、憲法の前文と、九条に問題が
あるかのような雰囲気さえ感じます。今の若者達に緊張感がないのを嘆いて、「一度自衛隊
に入れればいいんだ」などという某議員の発言もあったとか。
もやもやした気分でいた時、朝日新聞の「私たちがいる所―戦後60年から」欄に、詩人の
長田弘さんが書いている「不戦を支えた『留保の言葉』」を読み、「これだ!」と思いまし
た。その中から一部抜粋させていただきます。
           ◇
「戦争のなかったこの間の年月の単位は、日清戦争にはじまるこの国の、1894年から
1945年の敗戦に至る、戦争に基づく時代の50年をこえる、明治以後のいちばん長い時
代の単位です。戦争、紛争が途切れずにつづく世界にあって、戦争をしなかった年月の経験
が、わたしたちに不断に、しかし目立たないしかたで突きつけてきたのは、一人ひとりの日
常の生き方、みずからの日々を生きる姿勢です。」

「戦争をしない年月に在る難しさは、その意味で、日々の平凡さを引き受けなければならな
い難しさです。日々の平凡さのもつ価値は、それを失ってはじめてようやく明らかになる、
独特の性質をもっています。」

「戦争は、いまではおおくが、宣戦布告による国家間の、終わりをめざす戦いではなくなっ
て、パニックによって激発する、終わりのない戦いになってしまっています。それだけにい
まためされているのは、何をなすべきかでなく、何をなすべきでないかを言いうる、言葉の
力です。」
          ◇
 人間は、葦のように弱いけれども、「考える葦」でありたいものです。(2月1日、記)


そのB 石田美智子(05年1月投稿)

このコーナーには、つれづれなるままにお考えになっていることを掲載します。 投稿歓迎!(編集子)

目次へ :
編集後記:
05年も2ヶ月が過ぎました。昨年は、日本で世界で様々な災害があり、「04年は災害の年」
と呼ぶ人もいますが、今年は何と呼ばれる年になるのか、気になるところです。
              
警察見張番の例会は、毎回ゲストスピーカに講演をしていただいています。昨年秋の例会では、
「県警による緒方靖夫氏宅電話盗聴事件から今日の警察裏金問題まで」のお話を中野弁護士が
してくださいました。その緒方氏宅電話盗聴事件訴訟の原告であった方々から投稿していただ
きました。その中に出てくる松橋忠光警視監には、私も心が熱くなりました。

昨年(04年)元道警最釧路方面本部長の原田宏二さん、元弟子屈署次長の斉藤邦雄さんによ
る「裏ガネ問題」の内部告発がありましたが、松橋忠光元警視監は、すでに1984年に実名
で警察内部の「悪しき慣行」を具体的に発表していました(「わが罪はつねにわが前にあり」
松橋忠光著 社会思想社)。今から20余年も前のことです。現在の社会状況とは異なり、
警察に対して人々が疑いを持たなかった、持てなかった時代のことですから、その勇気は並大
抵のものではなかったはずです。

松橋さんは、その著書の中で書いています。「警察社会における不義の実態は簡単なことであ
る。いわゆる『二重帳簿』方式の予算経理による裏ガネづくりが、中央からすべての都道府県
にわたる全警察組織において行われていることである。そこでは最低限、公文書の偽造と印章
の虚偽使用がなされ、外部には絶対に秘匿しなければならない秘密であることが大前提である。」
さらに、「いつかは公然化して収拾がつかなくなる違法な慣行を、できるだけすみやかに制度
的に追放する措置」を取ってほしいと、「どっぷりと汚濁にひたりきってきた罪人である私」
の願いとして述べています。

 
 今日の裏ガネ問題を知るにつけ、過去にこのように告発され、改善すべきと指摘されていな
がら、その「慣行」が今日まで続いていたことに驚きます。不良少年氏の叱咤の通り、マスコ
ミも私たちも鈍感になっていると言えますね。(生田典子)

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