警察見張番だより22号の3
(2006.09.15.)

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***** もくじ *****

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● 控訴審を体験しての実感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡壮起

● 警察見張り番への期待・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原田宏二

● 編集後記


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● 控訴審を体験しての実感

                        高知県警OB 片岡壮起 
第1 事件は上告審へ
平成18年7月14日、高松高等裁判所で審理されていた私の懲戒処分及び辞職承認の取消控訴審の審判
が下った。平成17年3月から開始された控訴審は、異例とも言える審理8回を経て下った判決は、「控訴理
由はなく棄却とする」だった。

 この控訴審では、一審では闇に葬られていた事件関係者の供述調書などを、高知地方検察庁に保管され
ていた確定記録の中から探し出し、その内容を精査して証拠提出する等、多大な労力と時間を費やしての攻
防を繰り返し、裁判官の真相究明の疎明資料としたにもかかわらず、有力な証拠として採用されず、敗訴だ
った。

事案の詳細については、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」代表原田宏氏の著書「警察VS警察官」
(講談社・8/2発行)の第3章で、処分の認定が、いかにデタラメなものであったのか等、詳しく紹介されて
いる。ぜひ参考にしていただきたい。

●事案の要約
平成14年12月23日、元部下であったベテラン刑事が、外国人キャバレーを経営している友人に対し違反
(外国人資格外活動)摘発情報を漏洩し逮捕された。その取調べから、長期間にわたる饗応接待の贈収賄
も発覚した。

私は、過去に(元上司時代)ベテラン刑事に誘われ、その経営店に数回に出入りしたことがあった。この数回
の出入り事実を県警は問題視し、その出入り事実は饗応接待に当たると決めつけ、汚職仲間に仕立て上げ、
単純収賄で書類送致した。私は巧妙な県警のやり口に乗せられて、最終的には元部下の不祥事の責任を
取らされて依願退職に追い込まれてしまった、という事案である。

●そのやり口は
この処分内容が事実であれば、私も納得し、提訴も起こさないが、捜査段階において、取調官から「収賄を
自認しなければ、逮捕・起訴・懲戒免職になる。自認すれば、任意捜査・起訴猶予・減給か停職となり処分
は簡単に終わる」等の二者択一による自認強要を受け、事を丸く収めるため、その条件提示を信じて嘘の
自認に応じたところ、次に待ちかまえていたのは、嘘の自認調書を盾に取っての「辞職しなければ、起訴さ
れ懲戒免職」と言う卑劣な騙しの構図だったのである。

 私は、捜査段階で騙され、処分を受ける段階でも騙しに基づく処分の強要を受け、この上ない理不尽な
行為に全く納得ができず、平成15年4月、処分の取消訴訟に踏み切り、提訴した。しかし、1審、2審とも、
私の主張は無視され、「理由無し」の判決が下った。敗訴はしたが、私は判決内容に全く納得が出来ず、
7月24日に上告した。

第2 裁判所は真実を追及するところ?
裁判は、提訴から3年半もの期間が経過し、長期化している。未だに、先の見えない長く暗いトンネルの中
を走っている状態である。
私が裁判を起こした理由は、裁判所は真実を追及する最後の救済機関であると信じていたからだ。事案の
内容を十分審理すれば、全てが明らかになり、処分は取り消しになるはずだと信じていた。

しかし、私が信じていた裁判所の実態は、真実を追及するところではなく、その期待は裏切られた。敗因は
何かと自分なりに分析をしてみて、辿り着いた大きな敗因は、裁判官の偏見的な物事の考え方だと確信し
ている。

私の事案で言えば、その偏見は、事案の内容を吟味する前に裁判官は既に「警察官個人には不祥事を起
こす者がいても、警察組織は間違ったことをしない。適正妥当な判断を下している」という思いこみがあると
感じる。その思いこみにより、争点を判断しているとしか思えない。

私の事案の最大の争点は、処分理由となる「収賄行為」が存在していたかということだった。つまり、収賄事
件が成立するか否かという単純な争点であるのだ。
この事件性の判断については、普通であれば、一旦白紙に戻した状態で、証拠に基づき、構成要件に該
当する事実があるか否か、検討する必要があるのだが、裁判官は捜査段階に作成された自白調書を盲信
し、調書上私が収賄を認めているので事件は成立していると安易に判決を下している。つまり、現在、問題
となっている自白偏重主義で判決を下しており、その調書が作成された過程には何も不信感を抱かず、又
その内容に大きな矛盾が生じていても、それを無視して、捜査段階の自白調書を採用し、判決の根拠にし
ているのである。

これまで私は、1審、2審とも、裁判では、自白調書がでっち上げられた調書であることを証明するため、具
体的な証拠を示して主張してきた。

しかし、裁判所は、「見ざる、聞かざる、証人呼ばず」を決め込み、事件の真相を解明しようとせず、挙げ句
の果てには、主張に反論出来ない県警の代わりに、客観的事実を排除した、想像と可能性を連発して、主
観的な妄想を根拠に判決を下したのである。まさに、都合の悪いことには目をつぶるというご都合主義の裁
判が行われた。裁判官の心証主義の実態は、ご都合主義だったのか、と裁判そのものに失望せざるを得
ない。

私自身、まさか、裁判官が、そのような考え方をするとは夢にも思っていなかった。これが本当に裁判官の
実態であれば、真実を解明しようとせず、事案を分析できない裁判官には、その存在価値がない。

もうすぐ、裁判員制度が導入されるが、その制度が導入される理由は、裁判官の考え方があまりにも民意と
かけ離れたものであり、国民が裁判官に不信感を抱き、信用ができなくなったからである。私の判決も、まさ
に、それを地でいくような判決であった。裁判が陪審制であったら、必ず、勝訴していたと、私は今でも確信
している。

しかし、現実は、裁判所は真実を追及するところではなく、国家的機関の不正・不法行為を容認し、抗議す
る者を最終的に排除する国家機関だと感じざるを得ない。本来は国民のための最後の救済機関であるは
ずの裁判所が、実は、権力を有する国家機関の救済機関だとすると、日本は、権力者のやりたい放題の国
ということになり、民意を反映しない、とんでもない国の未来が待っていることになる。

裁判を通じ、私は、裁判官の意識が民意を反映した意識に改革されない限り、まともな判決は出ないだろう
と確信した。

第3 敗訴から生じた危惧と「言われたらお終いよ」の名言
私は、1審、2審とも敗訴した。判決文だけを読むと、「収賄は成立しているので、行為責任の収賄行為は免
職又は停職、逮捕されたベテラン刑事に対する監督責任は、停職又は減給に該当するので、懲戒免職の
可能性が十分認められた」等という内容だった。そして、県警が私に強要した「辞任しなければ、起訴され、
懲戒免職になる」という主張は、減一等を命ずるとなり、適正な処分であると判決を下している。

判決を読んで私は、裁判所から、「お前は、汚職警察官じゃ。本来は、起訴され懲戒免職になるはずじゃ。
ところが県警は情けをかけ、それを依願退職という形で済ましてくれた。県警は適正な処分をした。文句言
う方がおかしい。お前の話には聞く耳をもたん」と、罵倒されているように感じた。裁判所から見れば、私は
精神異常者又は性格異常者に写っているかも知れない。

しかし、判決内容を分析していくと、その内容がまやかしの連続で作られていることが分かる。処分の前提と
なる収賄行為を認定するに当たっては、かなり、曖昧な認定を繰り返していることが分かる。裁判所は、想
像と可能性だけで収賄行為を認定しており、客観的な事実では収賄行為を認定できていないのだ。犯罪を
認定するに当たっては、厳格な証明が必要である。しかし、裁判所はそれを無視して、想像だけで、私の収
賄を認定したのである。

警察を擁護した裁判官の想像だけで、私は犯罪者として認定されてしまった。この判決を受け、私は、真実
を解明しない裁判所に失望すると同時に、私の事案は反面教師として扱われ、警察側にとっては、組織内
で違法な処分をしても裁判官は目をつぶってくれるという、違法行為の助長を招いたのではないかと危惧
する。つまり、私の敗訴で警察側は、裁判所から「詐欺・脅迫・強要行為ででっち上げの自認調書さえ取れ
ば、全て、県警側の主張を認めてくれる。脅迫・強要で警察職員を依願退職に追い込んでも違法ではない」
というお墨付きをもらったことになるからだ。私の裁判は、ある意味で、県警の違法行為を助長させる危険
性があると同時に、県警を相手に裁判を起こしても最終的には裁判所に潰されるという事実を肯定する事
例にもなりかねない。

 組織にいた私でさえ、罠に嵌められて、この様な処分を受けたのだ。これが、仮に一般人であったのなら、
警察にとっては赤子と同じく、簡単に冤罪事件を作ることが可能である。裁判を起こしても、裁判官は警察
を盲信し、真相は究明されない。見方によれば、大変恐ろしい判決、とも言えるのだ。

私は、捜査段階で取調官から言われた「(なんでも)言われたらお終いよ」という言葉が今でも脳裏に焼き付
いている。つまり、真実はどうであれ、全て、「言われたらお終いよ」で処分が下されるということなのだ。この
言葉は、現在の社会を象徴する言葉かも知れない。

第4 組織に牙をむく警察官
私は、警察ネット代表 原田宏二氏の著書「警察VS警察官」の中で、愛媛県警の仙波さん、元長崎県警の
大宅さんと共に(各事案は異なるが)、組織に牙をむいた警察官として紹介されている。
この意味は、過去に警察官が組織に対して、訴訟を起こした事案が無いことから付けられた表現だと思う。
私が知っている範囲でも、高知県警において過去に懲戒処分に対する不服申立や訴訟を起こした者は無
かったと記憶している。

過去に事例が無いと言うことは、処分を受けた者は全員納得していたのか、それとも、不服申立をやっても
組織に潰されると考え、泣き寝入りしたのか、たぶんその両者であろう。現在、私は、裁判では敗訴したもの
の、やったことには大きな意味があったと自覚している。それを実感したのは、私に続く者が現れたからだ。

私の提訴後、高知県警では、私以外に、懲戒処分についての不服申立を行った者が2名いる(詳細省略)。
高知県警の警察職員は約1800人程度であり、全国的にも小規模な警察組織において、約3年間の間に
、私を含めた3人の警察官が、組織に牙をむき、懲戒処分の不服申立や訴訟を起こすということは、警察
社会にとっては異常事態である。この事実を裏返せば、高知県警では、職員が納得できない懲戒処分が
平然と行われていることを物語っており、高知県警が処分の在り方を改善しない限り、理不尽な処分に対し、
組織に牙をむく警察官が次々と現れるだろう。

私は、そんな警察官のためにも、私の事案は、最終段階の上告審に入ったが、最後まで違法な処分には
屈しないという意思を通し、その生き様を現役の警察官に見てもらいたいと思っている。

第5 明るい警察を目指して
私は、不幸にして部下の汚職事件に巻き込まれ、警察組織を去った一人だが、警察の存在そのものに対し
ては、国民の平和を守るために不可欠な組織と信じており、その職は治安の根幹を成す聖職であるとも考
えている。

聖職であるが故、現場で働く警察官は、法の番人としての重責がのしかかり、毎日、計り知れないストレスと
戦いながら、治安維持のため、我が身や家族を犠牲にして激務に耐えている。

しかし、そんな激務に耐えているのは現場の警察官だけであり、組織の上層部は、現場で汗水垂らして頑
張っている警察官のことは考えず、常に考えていることは、世間受けする警察のイメージの確保であり、「警
察官は聖人君子であれ」と押しつけているのだ。

その為、警察官が何か不祥事を起こせば、イメージダウンを回避するため、必要以上の処分を下し、私の
ように組織から排除される者もいる。

警察の処分は、常に、「警察官は他の公務員より高い倫理観が必要である」と呪文を唱え、そこには、公務
員として権利も人権もなく、不公平な処分が繰り返されている。まさに、組織内では、封建社会で象徴され
る暗黒人事が繰り返されており、職員は組織の方針に歯向かうこともできない。歯向かえば、そこに待って
いるのは報復人事である。声を出すことさえ、出来ない上意下達の社会である。

 部下が萎縮し自由に物が言えない、上司が部下の進言に耳を貸さないと言う閉鎖的で暗い環境の職場
では、警察官の士気は下がり、十分な治安維持は困難となる。その弊害によって、一番被害を被るのは、
治安を預けている国民自身なのだ。

警察内部から環境を改善していくことは、現在の状態では難しい。それでは、それが出来るのは誰か?国
民の一人一人の声ではないか、と思う。

世論が動いて、初めて明るい警察社会が実現する。
国民一人一人の「是は是、非は非」という声が

警察の明るい環境を創っていくのではないか、と思う。私自身も、明るい警察を創るため、元警察官という
立場から、現在における警察の問題点について自分なりに考え、活動し、その情報を発信したいと考えて
いる。


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「警察見張り番」への期待

「明るい警察を実現する全国ネットワーク」: 代表 原田 宏二

 「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の原田です。いつも、「警察見張番だより」を読ませていただいて
いますが、そのたびに皆さんの熱心な活動を心強く感じています。
 このたび、「警察内部告発者」に続いて「警察VS警察官」を出版することになりましたが、早速、皆さんへの
ご紹介の機会をあたえていただき誠にありがとうございます。

この本で取り上げた愛媛県警の仙波敏郎さん、元長崎県警の大宅武彦さん、元高知県警の片岡壯起さんは
いずれも仕事熱心で優秀な警察官です。彼らのような現場の警察官こそが国民の安全を守っているのです。

 しかし、警察は組織防衛のために仙波さんを座敷牢に閉じ込め、大宅さん、片岡さんを追放しました。こうし
た警察のやり方は、彼ら3人の人権を著しく侵害しただけにとどまらない大きな問題を含んでいるのです。

 皆さんもお気づきと思いますが、最近、警察がやるべきことを怠ったために人命が失われるなどの重大な結
果を招いているケースが目立ちます。古くは栃木の集団リンチ殺人事件の警察の対応、最近では、警視庁の
ひき逃げ事件の誤認逮捕、秋田県の連続児童殺人事件の初動捜査のミス、など数えあげるときりがありません。

 全国16都道府県警察で発覚した警察の裏金システムをなりふりかまわず隠蔽し続ける警察、組織防衛のた
めに次々と優秀な警察官を切り捨てていく警察、そうした警察の隠蔽体質は、こうした警察の怠慢と決して無
関係ではありません。

 私は、この2年半、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の活動を通じて、全国の皆さんに警察の本当
の姿を訴えてきました。「警察vs警察官」では、警察組織を頭のどこかで信じながら、無残にも裏切られていく
現場の警察官とそのご家族の苦悩、悲しみ、無念さなどを一人でも多くの方に知っていただきたい、との思い
で書いたものです。是非、ご一読ください。

 今や、国民を騙し続けてきた「警察神話」は崩壊しつつあります。しかし、それはいまだに地方の動きに止ま
っています。そうした意味でも首都圏で活躍されている「警察見張番」の存在は極めて大きいと思います。皆
さんのますますの活動を期待しています。(平成18年8月8日記)



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● 編集後記 

<編集後記>
 
今年の猛暑には、夏好きな私もさすがに参りました。それでも9月になると、清涼な風が路地を通り抜け、
澄んだ夜空には月が美しく、心が和みます。みなさまには、いかがお過ごしでしょうか。「見張番だより」
22号をお届けします。
今号には、元警官の方々と元記者の方が投稿してくださいました。それぞれに重みのある原稿をいただ
き、身を引き締めて編集いたしました。
元警官の方々に、お会いしたりメールでやり取りをする中で、強く感じたことがあります。どの方も、非常
に真面目で、正直で、正義感が強い、ということです。ひとことで言えば、最近、死語になっているかもし
れない「律儀な」という言葉がピッタリという感じなのです。それだからこそ、自分の身も顧みずに、内部
告発をする勇気があるのですね。

私などは、日常のなかで理不尽なことに出会った時、「面倒だから」「ま、いいかぁ」と見逃してしまってい
ることが多々あります。自戒を込めて……。(生田典子)




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