警察見張番だより 第30号
(2009.7.20.)

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***30号 もくじ***

● 操作諸雑費訴訟の中間報告        ・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木 健

● 「警察見張番」の皆様と愛媛へいって       ・・・・・・・・・大河原宗平

● 「東怜治さんを偲ぶ会」&「仙波敏郎さんの退職を祝う会」

その(1)・・・・・・杉山寅次郎

その(2)・・・・・・・本郷 敏子

●「仙波さんの無事卒業に想う」             ・・・・・・・・・・斉藤 邦雄

● [現職警察官「裏金」内部告発] 

その(1)・・・・・・中村 攻

その(2)・・・・・・大森 猛

● ドキュメンタリ宣言「さらば警察」を観て思うこと  ・・・・・・・・・戸松 孝夫

●編集後記              ・・・・・・・・・・・・・・・・・生田典子


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 ● 操作諸雑費訴訟の中間報告

(弁護士:鈴木 健)

現在、神奈川の「警察見張番]が、神奈川県警を相手取って行っているのは、平成20年2月18日付で、 「平成18年度警察本部鑑識課の捜査報償費(県費)中、捜査諸雑費支出に関する一切の資料(現金出納 簿及び支出証拠書類)」について公文書公開請求をなしたのに対し、県警は、

 @現金出納簿の、個別の執行に係る支払月日、使途状況、収入金額、支払金額及び、差引残高欄
 A支出証拠書類のうち、捜査費支出伺、支払精算書、立替払報告書、捜査費交付書兼支払精算書、支出伝票、領収書 を非公開とした一部公開決定を3月3日にだした(開示した部分は、以前起こした訴訟のときと同じ範囲)ので、これ を不服として、同年8月1日、決定の取消を求める訴えを横浜地裁に提訴した訴訟である。この訴訟についてはこれま で、まとまった形で「見張番だより」に報告していなかったので、ここで中間報告をさせていただくこととする。

 今回「鑑識課」の「捜査諸雑費」に着眼したのは、なるべく「情報源を秘匿しなければならない」という言い訳が立 ちにくそうな課や費目を狙おうとの発想に基づくものである。が、そこは県警側も素直に認めるはずもなく、「公開さ れた情報を分析することにより、捜査の対象、捜査体制や捜査活動の状況が推察され、被疑者等において逃亡又は証拠 隠滅のおそれや、犯罪を企図する者による対抗措置が講じられるなどの可能性がある」と、相変わらず「風が吹けば桶 屋が儲かる」式の答弁を、今回の訴訟でも繰り返している。

これまでに4回弁論期日が開かれたが、今回興味深いのは、捜査費を執行した費目にどのようなものがあるか挙げら れたいと求釈明したのに対し、鑑識車両の駐車場使用料(コインパーキング料金を含む。)として捜査諸雑費を執行す るケースがある、と回答してきたことである。

 これに対し、「駐車場の領収書に記載される事項は、駐車場の名称、年月日、入出庫時刻、駐車料金のみである。
これらの記載内容から、事件ごとの捜査体制、捜査方針、捜査手法、捜査の進展状況など分析できるはずがなく、また 領収書に宛名は記載されないから支出した捜査員も特定できず、さらに警察車両を駐車させたからといって事件関係者 が駐車場に報復措置をとることもおよそ考えられないから、駐車場の領収書を公開しなかったのは、裁量権の逸脱ない し濫用である。/被告(県警)は、駐車場の名称から鑑識が行われた場所が特定できたり、鑑識が行われた年月日が分 かると、事件ごとの捜査体制、捜査方針、捜査手法、捜査の進展状況などが分析できると主張するのかも知れない。

しかしそれならば、場所が特定できる情報や具体的な日時の部分のみをマスキングすれば十分であり、いずれにせよ領 収書そのものを公開しない理由とはならない。」と主張したのであるが、県警側は例によって、「駐車場の領収書に記 載された情報は、いつ(捜査年月日及び時間)、どこ(場所)で、どのくらいの時間、鑑識課員が活動していたかを明 らかにする情報とな」ると、上記の理屈を振りかざすのみである。

 次回は、駐車場領収書の一部のみマスキングして公開したとしても捜査上支障はないことを、具体的な領収書を例に 挙げて主張立証する予定である。

以上


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● 「警察見張番」の皆様と愛媛へいって

前群馬県警・警部補大 河原宗平
(懲戒免職処分取消し訴訟中)

◎はじめに
愛媛県警の不正経理問題(裏ガネ作り)を日本警察の現職警察官として初めて実名で告発した仙波敏郎巡査部長に対 して、愛媛県警が行った配置換えなどの「報復人事」が違法だとして仙波さんが起こしていた損害賠償請求裁判の控 訴審判決(一審の松山地裁では、愛媛県警の違法性を認めて仙波さんの請求額である100万円の満額の支払いを命 じていた)が、昨年9月30日香川県の高松高裁でありました。高松高裁も一審同様に愛媛県警の違法性を認めて請 求額満額である100万円の支払いを追認しました。この高裁判決に対する「判決報告会」が同日午後6時から、愛 媛県松山市内で開催されました。

私は、仙波さんを富山県から支援している「謝れない県警」(2004年8月10日 桂書房発行)の著者である松 永定夫さんと共に高松高裁の傍聴席で判決を聴き、松山市まで足を伸ばして報告会にも参加しました。 報告会の終盤に「仙波さんを支える会」の会長である東 玲治さんから「来年3月31日には仙波君が目出度く定年 退職を迎えますから、皆さんと共に退職記念パーティを開催したいと思いますが、皆さんの賛同が得られるでしょう か?」と提案がありました。私は両手を揚げて賛同しました。富山県の松永さんも賛同しましたが大切な私事により パーティには参加できませんでした。

本年2月7日、仙波さんは神奈川県の「警察見張番」の例会に招かれ「現職警官が裏金作りを告発・1000日のた たかいの勝利」と題して講演しました。私もこの例会に参加させていただき、「見張番」の皆様と共に「仙波さんの 退職記念パーティ」に参加することを決めました。

◎「警察見張番」の皆様と共に愛媛へ
神奈川の「警察見張番」の生田さん、本郷さんと綿密な連絡を取らせていただき、一緒に前日の30日から愛媛県入 りしました。仙波さんは多忙な中、私達が愛媛に滞在している間ずっと毎日、私たちが愛媛県を後にした4月1日ま で時間を取って食事等にお付き合いくださったこと、本当に感謝しております。

当日には、神奈川の「警察見張番」の佐久間弁護士、鈴木弁護士の先生方が駆けつけてくださいました。弁護活動等 で大変ご多忙なところ、仙波さんの退職を祝う会に参加してくださったことに対して、「見張番」の皆様が警察の正 常化に真剣に力を注いでくれていることを再認識すると同時に、仙波さんと「見張番」の関係が非常に密接であるこ とを痛感しました。

◎退職当日の愛媛県警本部前で
 私は、仙波さんが愛媛県警を退職し、勤務場所である県警本部の庁舎を後にする姿を一目見ようと、「見張番」の 皆様と共に3月31日午後3時半に愛媛県警本部前に駆けつけました。なんと、その場所には、既に40〜50人の 支援者、マスコミ関係者が集まっており、三脚に載せたテレビカメラと長く伸ばしたマイク、そして花束を持った女 性たちでいっぱいなのが印象的でした。中でも花束を抱えた3〜4人の女性グループは「こんな正義感の有る警察官 が愛媛県警にいたことを今日の新聞で知って駆けつけました。仙波さんが退職される前にひと目お目にかかりたい。 今日は間に合って本当によかったです。」と話していた言葉が忘れられません。

             午後3時45分県警本部の玄関からたった一人で仙波さんが姿を現すと、待ち構えていた一般市民から拍手が沸き起 こり仙波さんに駆け寄り一斉に花束が渡されました。仙波さんは両手で次々と渡される花束を胸に抱え込んで受けていま したが持ち切れず、私は補助の手を差し出してしまいました。そして仙波さんから「やっとこの日を手に入れました。 皆さん本当にご支持をありがとうございました」との感謝の言葉があり、拍手が鳴りやみませんでした。引続きテレ ビカメラが取り巻く中でマスコミ各社のインタビューが続き、愛媛県警本部前の狭い庭と歩道は、まるで撮影現場を 思わせる賑わいになってしまいました。予め配置されていた愛媛県警の私服職員も丁寧な言葉使いで通行人や自転車 の交通整理に協力してくれていました。

◎愛媛県警は、何故退職者の見送りをしなかったのだろうか?
私は、群馬県警に勤務し、長年にわたって3月31日の退職者の見送り風景を目にしてきました。その様子は、県警 本部内に勤務している職員が両側に並んで花道を作りその中央を退職者が挨拶しながら進むという正に「見送りの儀 式」が行われてきました。愛媛県警は何故このような儀式を挙行しなかったのだろうか?と私は不思議に思いました。

風評では「毎年行っていたが今年は中止した」と聞いております。それが真実だとすると愛媛県警の対応は「失敗で あった」と私は感じました。その理由は、多くの退職者の中の1人が仙波巡査部長であったことで済まされたことが、 この見送りを中止したことで仙波さん退職祝いのオンパレードを現出してしまったからです。県警本部の前庭には、 退職職員を送る室内儀式に花を添えた県警音楽隊の大型バスが停まっておりました。

仙波さんが警察本部前に姿を見 せて間もなくこの音楽隊員も出て来て大型バスに乗り込みましたが、県警本部前の取材風景の中でさすがの音楽隊員 も「そこを空けて出させてください」と言えずに隊員たちはバスに乗ったまま県警本部前の取材・祝福を受ける仙波 さんの現実の姿を目の当たりにしてしまいました。仙波さんが行った「裏金の内部告発」とそれらを取り上げるマス コミ報道を愛媛県警職員で知らない人はいない筈ですが、実際に取材を受ける仙波さんのナマの姿を目にしたことの ある職員は少ないと思います。

音楽隊員は比較的若い職員が多いものです。この若い職員たちが「正義を貫き通せばこれほど大きく取り上げられる のだ」という現実を見てしまったのです。そういう意味で私は愛媛県警の対応は失敗だったと申し上げたいのであり ます。つまり、皮肉なことに県警本部の思惑と逆の結果を招いていたからです。

◎仙波さんの退職を祝う会
突然亡くなられた「仙波さんを支える会」の東会長を偲ぶ会が先ず行われました。その会に続いて行われた仙波さん の退職を祝う会では、仙波さんが「警察の礼服姿」で入場しました。この礼服は、文字通り「警察内部における厳粛 な式典」に着用するための特別な服装です。例外として私的では結婚式の披露宴で新郎が着用することくらいしか認 められていないものを、この晴れ舞台で着て、仙波さんの退職を祝うために集った皆様に披露することを思いついた 仙波さんの機転に私は驚かされました。群馬県警の警察学校で教官を勤めた経験の有る私は、仙波さんのこの礼服姿 見て「最後に決めてくれた」と嬉しくなり感無量でした。それに、とても格好良かったです。

◎仙波さんに、「大 巡査部長」の称号を送りました。
 この祝典で司会者から「乾杯の音頭」の指名をいただいた私は、大勢の皆様の前で緊張しながら大役を務めさせて いただきました。何を話したか良く覚えておりませんが、とにかく私は、仙波さんに「大 巡査部長」の称号を送り たいと考えておりました。日本警察には明治以来「警察官の魂である」といわれて受け継がれてきた初代警察庁長官、 川路大警視の「音無きに聞き 形無きに見る」の名言が有名でありました。しかし、昭和・平成の時代を裏金作り拒 否の正義を貫き通し、36年間昇進の道を閉ざされ巡査部長の階級を貫き通した仙波さんは川路大警視の名言を塗り 替えた「正義の大巡査部長」であります。よってこの祝賀会で参加者の皆様の賛同を得て仙波さんに「大巡査部長」 の称号を送りました。仙波さんも喜んでくれたと自負しております。

◎東玲治会長の声無き訴え
 3月31日の仙波さんの退職祝賀会に参加された多くの皆様から、「明日(4月1日)は東会長のお墓参りに行きた い」との声が持ち上がり、仙波さんを支える会の皆様が自家用車で協力してくれて松山市内から40〜50分ほど離 れた東さんの墓地に向かいました。墓地に近付くに従い空模様が変わってきて強風が吹き荒れ墓地に着いたときには 横殴りの雨にヒョウまで降るという天気になってしまいました。宿泊先のホテルを出たときには穏やかな薄日が差し ていたのにこの天候の変化は何なのだろう?と私は考えました。

そして私の結論は、昨晩の仙波さんの祝賀会に参加 出来ずに病に倒れた東会長の「悔し涙」であり、また皆が東会長に会いに来てくれた感激の涙であろうという思いが 心に湧きあがってきました。東さんは仙波さんを支え続けていましたが、私自身も東会長からは、歯に衣着せない言 葉で色々と教えていただきました。本当に感謝しております。東さんありがとうございました。安らかにお眠りくだ さい。

◎最後に(お笑いです)
前に述べましたが、仙波さんが祝賀会で着用した「礼服」は、愛媛県警から「仙波さんが現職のうちに返せ」という 下命が出ていたそうです。この意味は3月31日午後24時までに返せということです。午後8時前に始まる仙波さ んの退職祝賀会で着用するのですから「同夜のうちに返せ」という命令もまた無理な話で、これも仙波さんに対する 嫌がらせのひとつであると私は理解しました。仙波さんはこの約束を果たして参りました。勿論、仙波さんも祝宴で 多少のアルコールが入っておりますから、一人で県警本部に出向いて公務執行妨害でもでっち上げられて逮捕され、 同日懲戒免職にされては大変なことでありますから、私からも仙波さんにお願いして大勢で返納に行くことを勧めま した。仙波さんの息子さんも一緒に行ってもらい、仙波さんを先導に私も含めて3人で県警本部に出向きました。時 間は午後10時50分を回りましたが県警本部の当直室に出向き仙波さんから当直責任者の警部に「礼服の返納にき ました。よく確認してください。」と申し出ました。

この警部は低調に対応してくれて「仙波さんには大変失礼だと思いますが上司から言われていますのでよく確認させ ていただきます」と言いながら予め用意されていた「確認用のチェック用紙」に基づき内ポケットにまで手を入れる という念の入れようで、付属品を含めた「サイズ、数量」のチェックを受けて無事に返納が済みました。しかし、こ の警部からは仙波さんに対する敵意は全く感じられず、逆に「細かいところまでチェックして申し訳ありません」と 警部自身の言葉で仙波さんに対する感謝の気持ちさえ感じられる対応をしてくれました。これも「仙波大巡査部長」 が残した「偉業である」と私は感じ取りました。この状況を「見張番だより」の読者の皆様にも私からの報告のひと つに加えさせていただき、出筆を閉めさせていただきます。神奈川の「警察見張番」の皆様、大変お世話になりまし た。ありがとうございました。

以上


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 ● 「東怜治さんを偲ぶ会」&「仙波敏郎さんの退職を祝う会」

〜〜〜〜〜〜〜〜 その(1) 〜〜〜〜〜〜〜〜

国賠ネットワーク会員
  神奈川警察見張番会員: 杉山寅次郎

「ピ、ピ、ピーン!」江川紹子さんのカウントダウン、4月1日午前0時、仙波敏郎さんが定年退職を完全に迎えた 瞬間だ。最後までデッチアゲ逮捕が心配されたが、それも杞憂に終わった。一同が拍手喝采、仙波さんを祝い、再 び乾杯する。ここは愛媛県松山市三番町のとある居酒屋である。

これに先立つ1次会、愛媛県警本部の4軒ほど南隣り「東京第一ホテル松山」において、7時から「東玲治さんを偲 ぶ会」が、その後「仙波敏郎さんの退職を祝う会」が開かれていた。「偲ぶ会」の司会は仙波さん。見事な進行ぶ りだった。東さんはきっと照れていたに違いない。

ここで故東玲治さんについて紹介しておこう。東さんは昨年10月21日、仙波さんの国賠勝訴判決確定ののち、狭心 症により急逝された。そのあまりにも唐突な急逝には私ですら呆然としたのだから仙波さんの心中いかばかりか、 想像を絶する。東さんは昨年10月まで「仙波さんを支える会」代表世話人であった。その前には、元サンケイ新聞 記者、地元に戻ってから月刊誌「政経ジャーナル」の編集発行人を歴任していた。仙波さんと知り合ったのが仙波 さんの告発会見その5日前だったというから驚く。仙波さんと同級生で同じ松山東高校の出身と聞くと、昔からの 旧友同士だったかとつい勘違いしがちだ。私はそう思い込んでいた。私が、東さんに初めてお会いしたのは、06年 9月「全国市民オンブズマン福岡大会」だった。この時すでに、東さんと仙波さんとは大昔からの盟友同士という 雰囲気があった。誤解したのも無理からぬことであろう。

なお、東さんと仙波さんの「出会い」の場面については、『ドキュメント仙波敏郎』『続記者物語』(東玲治・著、 創風社出版)、『現職警官「裏金」内部告発』(仙波敏郎/著、講談社)や朝日新聞の連載コラム「縁(えにし)」 (08年7月20日付)に詳しいので参照していただきたい。

会では続いて、「仙波敏郎さんの退職を祝う会」が盛大に執り行われた。群馬県警の元警部補大河原宗平さんが乾 杯の音頭をとる。自らも「警察の裏金」を告発、その結果いわゆる「ころび公妨」により逮捕され冤罪被害をこう むっていた。仙波さんを先輩として、したい続け応援し続けてきた。その大河原さんが、近代警察産みの親 川治 大警視になぞらえ、昭和平成の日本警察において正義を貫き通してきた仙波さんに「仙波大巡査部長」の称号を贈 りたいとして、乾杯を呼び掛けた。

そして歓談、宴は盛り上がった。そこここにグループができ、仙波さんを今日まで応援してきた人々があれこれの 話に興じている。演壇には仙波さんを全国各地で応援してきた人々が、入れ替わり立ち代り紹介されマイクに向か った。各人が各様、仙波さんへの応援メッセージを贈った。

映画『ポチの告白』原案提供の警察ジャーナリスト寺澤有さんが、演壇で仙波さんにインタビュー、聞きづらい点 に果敢に突っ込み「今後も警察裏ガネの告発を続けていく」との言質をとり、仙波さんにエールを贈った。 「人権と報道・連絡会」の世話人で同志社大学教授の浅野健一さんは、大学教授とはとても思えない、ひょうきん な挨拶をされた。そのラストのくだりを紹介する。 「まだまだ安心はできません。あと4時間あります。最後の土壇場ででっち上げ逮捕があるかもしれない。この会 場に公安が押し寄せてきたらこりゃ劇的ですね〜♪そうしたらボクは真っ先に逃げます!ウソウソ、ボクも一緒に 闘います!」(笑)

大笑いしていた私も「国賠ネット」会員参加者として呼ばれた。私のメッセージはおおむね次のとおり。 「冤罪の裏に警察の裏金あり」裏ガネによって腐敗した警察組織により冤罪が連発される。こういう関係のもとで、 腐敗した組織の裏金を告発、組織を正そうとしている仙波さんは、冤罪撲滅のためにも間接的に闘っていてくださ ることになる…。これが国賠ネットとして仙波さんを応援する理由です。

先ほどの浅野さんや三浦和義さんらと一緒に、[恵庭ОL殺人冤罪事件」の支援で何年か前に札幌に出かけたことが ありました。北海道警察本部の周辺を車で街宣中、「しゃべれ」と言われたので、しゃべりました。

 「北海道警察本部の職員の皆さ〜ん、毎日毎日、裏ガネづくりご苦労様で〜す♪ しかし、だからと言って職員 の皆さん全員が悪いとは全然思っていませんよ〜。悪いのは警察庁からやってくるキャリアです!  もっとも、だからと言って、皆さんの鬱憤晴らしのために、恵庭冤罪事件のOさんが無実の罪をかぶることを許 すわけにはいかない。公正な裁判 を要求する所以で〜す。」

 という次第で、仙波さんは、冤罪の撲滅にも力を尽くしていてくれたことになる。そういう警察官である仙波さ んを国賠ネット会員として応援するのは「当然のこと」でしょう。この点、国賠ネットの先輩からは「国賠ネット として警察官を応援する理由をきっちり説明できるようにしておいたほうがよい」と言われているのですが、これ で回答になってるかな♪と思います。いかがでしょうか?
それでは仙波さん、今後ともよろしくお願いします。

        ◇◆◇

翌4月1日、皆で東玲治さんのお墓参りに出かけた。お寺に近づくにつれ雲行きがおかしくなり、駐車場についた途 端、ヒョウまで降ってきて土砂降りとなった。清水勉弁護士が、「うう〜ん、墓参りをさせまいとする強い意思を 感じるなぁ〜(「愛媛県警の」でしょうか?)」。ボクは、東さんが、「俺んとこなんかどうでも良い。みんな、 やるべきことが他にたくさんあるだろ。さっさときっちりやっとけや!」とでも言ってくださってるのではないか と感じた。改めて近々、東さんとお話をしにまた出かけたい。

帰りの飛行機、買い込んでいた仙波さんの本、『現職警官「裏金」内部告発』(講談社)を読んでいて、あまりの 痛快さに思わずニヤニヤ♪ANAのフライトアテンダントの女性職員には、さぞかし危ないやつだと思われたにちが いない。
(国賠ネット通信117と重複する部分あり。編集子)

〜〜〜〜〜〜〜〜 その(2) 〜〜〜〜〜〜〜〜

本郷 敏子
 神奈川の「警察見張番」では、仙波さんをお迎えして3回の集会を開催しました。「仙波さんを支える会」の会 長・東 怜治さんも一緒に来てくださいまして仙波さんのガンバリについてお話をしてくださいました。お話を伺っ て、私達は大いに励まされてきました。

2月7日に開催予定の「見張番例会」は、警官仙波さんの勝利報告会を予定しました。その直前に、生田さんより 仙波さんの退職の日には、私達「見張番」として花束を贈呈しよう、という提案がありました。当初は、当日一般 市民が直接花束を手渡すことが出来るのか分かりませんでした。何はともあれ、仙波さんと共に闘い、これを支援 し続けてきた愛媛県民の方々にお目にかかりたいという思いもありました。そこで、神奈川の例会にいらしてくだ さった仙波さんに、「私達も松山に行くつもりである」こと、「花束の贈呈をしたい」ということを告げました。

3月に入り、「退職を祝う会・東さんを偲ぶ会」のご案内をいただき、私達、「警察見張番」の役員有志4人 (生田・本郷、別便で見張番代表の佐久間弁護士・事務局長の鈴木弁護士)が自費で参加することになりました。

 体調を崩していた生田さんの提案で、一日早く出発することになりました。30日、群馬の大河原宗平さん (前群馬県警・警部補)と新横浜で乗り合わせ、岡山乗り換えで松山に着きました。 四国は初めての私にとって、仙波さんの裁判支援に足しげく通っておられた大河原さんのご案内は、安心の旅で した。 松山に着いて知ったのですが、私達の宿泊ホテルは、なんと県警本部から2〜3分の所にありました。

31日早朝、「熱があり食事が食べられそうもない」とう生田さんの声に、はっとしました。 生田さんは、二年前に重い癌の手術をなさっていました。そのため「一日前に新幹線でゆっくり行きたい」とい うことでした。31日も、ホテルに居て休養したいと言われ、申し訳ないと思いながらも結局、私は大河原さんと 一緒に松山城等の見学に出かけてしまいました。

白壁の城、庭一面桜が満開!澄み渡った青空と見事に調和した景色でした。振り向くと前方に愛媛県警本部の建物 が見えました。「ここが愛媛県警『裏金』作りの総本山、仙波巡査部長から仕事を奪い、長期に隔離していた建物 か」と、怒りが込み上げてきました。 それでも不正を拒否し続け、内部告発をして毅然と闘い抜いた仙波敏郎さんの闘いの歴史を改めて思い起こし、 42年間に渡る警察官の輝かしい定年退職を胸を張って迎えておられる姿を想像しました。仙波さんは、日本の 警察の暗部を照らす灯台です。

       3月31日夕方より、仙波敏郎さんの退職を祝う会が開かれました。花束に囲まれて壇上に立つ仙波さんに、次々 と祝辞が送られました。松山駅売店の女性、駅員、タクシーの運転士の方というように、様々な方からのご挨拶が あり、さすが鉄道警察隊として活動していらした仙波さんのお人柄を物語っていると感じ入りました。 この祝賀会で、神奈川からは「見張番」の佐久間弁護士と鈴木弁護士が祝辞を述べてくださいました。

以上


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●「仙波さんの無事卒業に想う」

(道警OB 齋藤 邦雄)

私は2004年(平成16)3月1日、元道警釧路方面本部長の原田宏二さんに続いて道警裏金問題を告発しました。

当時の原田さんの行動は、まさに「平成版パンドラの箱」と言っても過言ではありませんでした。 『捨身の心』でこの箱を開けたのだと思いますが、私は、この危険を顧みない勇気ある行動に心を打たれ、 原田さんに続いて道警の裏金について実名告発をしました。

その結果、道警は態度を一変させて不適正な予算執行を認め、9億6千万円という大金を国と北海道に返還し ました。しかしながら、約4億円の使途不明金と責任の所在を曖昧にしたまま、幕引き方向に舵が切られたのです。 そして告発から5年が経過し、今や国民の記憶からこの問題は忘れ去られようとしております。
一方、愛媛県警では時期をほぼ同じくして、仙波敏郎巡査部長が現職警察官として初めて、裏金問題を内部 告発しました。OBでさえも躊躇するこの裏金不正を、現職警察官が行ったこと自体、大変な心の葛藤があったで あろうことは想像に難くありません。

         ところで、内部告発後に仙波さんとお会いする機会に恵まれました。彼はその時、「道警は裏金のパイオニ ア」とユーモアを交えて話しておりました。そしてまた、冷静かつ慎重に話す彼の言動は、多くの方々の共 感・支持を呼び起こしました。爾来4年間のご交誼の中で思い起こすのは、松山地裁での証人出廷等などです。

そして常に、物静かな眼差しで仙波さんを見守っていた東 玲治さんの姿が、特に印象的でした。 今でも『仙波君!』という東さんの掛け声が聞こえてきそうな錯覚を覚えるほどです。

ところで警察の裏金問題は、全国都道府県警察が抱える共通の病巣でありながら、問題が表面化すれば警察 は組織防衛にやっきとなり、隠ぺい対策に莫大なエネルギーを費やしてきました。 全国の警察組織には、国民不在の裏金文化がしっかりと根付いている、と言っても過言ではありません。そ して自分たち身内の不正には寛容である一方、国民の不正には容赦しない姿勢を見せ続けている姿は、情け ない限りです。

当然のことのようにそのような組織では、警察官の不祥事や不適切な職務執行が後を絶たず、そ の度に 「再発防止対策に努め…」という金太郎飴的な言葉を繰り返しております。度重なる不祥事等とこの裏金問 題は表裏一体であるのにも関わらず、警察は裏金不正問題から何も学んでいないのです。事の本質に迫ろう とする意識、そしてそれを改めようとする組織風土が育たないことも悲しいことです。

北海道では、原田宏二さんの呼びかけで2007年2月に「市民の目フォーラム北海道(略称CEFH)」なる 市民団体を発足させました。 この会は、警察問題に関心のある方々と手を携えて市民のための開かれた警察実現に取り組むことを目的と してスタートを切ったものです。

しかしながら、警察の改革を外部から求める取り組みは、息の長いテーマであると痛感している昨今です。 でも、名実共に「市民のための警察」となって貰いたい、そんな思いを込めながら活動を続けていきたいと も考えております。 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」…まさしく仙波さんの行動そのものです。

仙波さん、42年間の警察官人生、無事卒業おめでとうございます!お疲れ様でした。

そして4月からは、一市民です。東さんも見守ってくれています。これからは、肩の力を抜いて緩やかなが らも厳しい目を持って前進しましょう。 「警察見張番」や「市民の目フォーラム北海道」と連携を図りながら、市民の目線で警察と向き合っていく ・・・こんな人生も楽しいものです。


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● [現職警察官「裏金」内部告発]
中村 攻

〜〜〜〜〜 その(1)〜〜〜〜〜

今年三月に定年を迎えた仙波さんが、現職中には公表できなかった制約から解放されて、すべてを書き綴った。 いわば満を持して発刊された本である。結論を先に言うと、これまでに読んだどんな警察小説もこの本の面白さ に及ばない。読み始めたら一息に読んでしまわずにいられない面白さだ。

仙波さんのような真っ正直で正義感の強い人間がどうしてできたのか、ということは、生い立ちのところで良く わかった。母子家庭の母親が、貧しくても毅然と生きる姿勢をつらぬき、人家族の暮らしを支えた。そのお母さ んに心配をかけてはいけないというけなげな少年時代の思い出。自分の家で売る飴玉を食べてしまったときのお 母さんの仙波少年に対する言葉に涙が出た。また仙波さんの長男の不慮の事故にあたってのつらい日々に耐える 夫婦。その妻がガンに倒れ、病床で最後の別れをするシーンの記述にも感動した。

個人の生活の節々で直面するつらいことに対しても、不正を憎み、正義を貫こうとするために差別され、職場で 孤立させられる事態に遭遇したときにも、困難をのりこえる勇気と粘り強さは少年時代に培われたものと思った。

同期の中で一番早く巡査部長になったが、裏金づくりに協力しないために定年まで役職はそのままに差別され、 警察官の命である拳銃が取り上げられた。(この本ではじめて警官にとって拳銃のもつ意味を知った)。仙波さ んは良心に従ったために、出世も、本来受給すべき給料も失ったが、何よりも得難いものを得た。

それは一点愧じることのない、天下に誇るべき、そして日本人の歴史に残る人生である。その生き方は世の多く の人を励まし、勇気と清涼感を与える。出世街道を歩いた同僚たちにとって仙波さんは、自分の汚れた過去を絶 えず自覚させられる存在であるにちがいない。権力をカサにきていばりちらし、社会や家族に対してどんなにえ らそうに振る舞おうとも、仙波さんがいるかぎり後ろめたい思いを捨てきれないだろう。今後、警察の裏金問題 がどのように推移、解決していくのか興味がつきない。

〜〜〜〜〜 その(2)〜〜〜〜〜

 大森 猛
仙波敏郎さんのサイン入りの「現職警官『裏金』内部告発」を神奈川の「警察見張番」のHさんにお借りし、一 気に読んだ。

その後、日本の警察史上にとっても画期的ともいえるこれだけの勇気の書を手放しがたく、私は横浜駅近くのY 書店に行ってあらたに買い求めた。発売間もない時だったにもかかわらず神奈川県で最大規模のその書店で当初、 パソコンの検索で仙波さんの著書「現職警官…」は「在庫なし」、品切れだった。私の「本当ですか、良く調べ て!」との要求に、今度は手作業で探してくれた結果、店員が「一冊だけありました」と持ってきてくれた。

まさか、警察が買い占めているのではないだろうに、などと思いながら、それを手にしてわが家に帰った時、テ レビのニュースがあの足利事件の菅谷利和さんの釈放を大きく報道し、菅谷さんの会見の模様を映していた。菅 谷さんが最初に言ったのは、「当時の刑事、検察官は謝ってほしい。私の両親、世間の皆様に謝ってほしい」。 これを聞いて、すぐに仙波さんの著書「現職警官…」のなかの裁判での勝訴が確定し、賠償金100万円の支払 いをめぐるやりとりの部分を思い出した。

100万円を手渡そうとする監察官室幹部にたいし、仙波さんは受け取りを留保する。「本部長の謝罪があれば 受け取ります。僕が求めているのは金ではなく直接の謝罪だ」。菅谷さんの要求が当然過ぎるほど当然であると 同様、仙波さんの要求もまったく当然のことだ。

「内部告発」に対する500日にも及ぶ「幽閉」という陰湿極まりない報復、見せしめの配置転換、仕事どころ か当初は机、椅子さえなかったというではないか、警察官、そして人間の尊厳を陰湿に蹂躙しようとした行為に たいし、司法が断罪を下したのもこれまた当然のことだ。

私は、仙波さんのこの著書の中で「仙波さんは偉い男だ!」としばしば絶句するほど感じさせられたが、その一 つが、その謝罪を、単に裁判の中心的争点でもあった仙波さんへの陰湿な嫌がらせへのものだけにしなかったこ とだ。彼はこのやりとりの中で「いちばん大事なのは、謝罪を通して裏金を根絶しようという気持ちを示すこと なんです」ときわめて明快に今、警察がなすべき最も本質的で重要な問題を提起している。

仙波さんの「現職警官…」を読み、私は、組織的に完成されたシステムによって公金が横領されているというこ と、裏金作りのシステムの基本である「ニセ領収書」作成が昇任の条件になっているということ、それが組織の 上から下まで徹底され、愛媛県警が、そのことを恬として恥じない、腐敗、汚濁、虚偽…の集団であるというこ と・・・信じられないほどのそれらの事実に、悲しいほどの衝撃を受け、例えようのない強い憤りをもった。

 さらに積年の組織的犯罪に、正邪の判断も出来なくなってしまった警察の実態には恐怖すら感じる。県警幹部 の議会や法廷での言動、仙波さんとのやりとりは醜悪の限りである。私もこの間、県議会、国会での活動を通じ、 警察の不当な組織実態の一端や、行政関係機関の公金での飲食などを知る機会があったが、仙波さんの告発はそ れらをはるかに越えるものであった。

 その警察の中にあって、24歳で昇任の望みを一切絶たれた仙波さんが陰湿な迫害、奥さんの死、ご家族のこ と、すさまじい試練を超えて、孤独なたたかいを30数年間、貫き通したことは驚異的であり、深い尊敬の念を持 った。そして、仙波さんをして、貫き通させた力は何だろうか?著書の中で、仙波さんは幼い頃のお母さんの教 え、奥さんを初め、家族の皆さんの支え、東玲治さんなど、共に闘ったかった人びとのことなど様々述べられて いる。奥さんとの馴れ初めから、残酷な別れまでを記した章は感動的でしばしば私も、本を置いて瞑目した。仙 波さんも大きな支えだったと述べている。

そして私は、もう一つ大きな支えになったのは、仙波さんが、警察を愛し、その職業に誇りを持ち、その前途に 希望を持っていることだと思った。それは本書のなかで、プロローグを初め、随所に見受けられた。象徴的だっ たのは、同じくニセ領収書の作成を拒否しながら、警察には絶望し、告発の意思など持たないKとのやりとりだ。 Kは仙波さんに告発を勧められ、「センちゃん、ワシはあんたみたいに警察をよくしようという気はさらさらな い」と言い切った。

仙波さんは、警察に希望を持ち、「良くしたい」という立場がきちんと座っているからこそ、冒頭に述べた「謝 罪」のもつ意味についても突っ込んだ発言が出来た。告発を思いとどめるようと説得する上司の「(告発の)記 者会見したら県警は一年間は立ち直れない」の言葉に、すかさず「今ふたをしたら一生立ち直れない」と鋭く返 すことが出来たのもそうだと思う。

 仙波さん自身、「人はどこまで正義を貫けるか」と一章起こして、真正面からそれについて触れている。その 中で、「若き警察官たちへ」の項で、「警察官の原点を忘れずに仕事に向き合ってほしい」と願いを述べ、原点 として、警察官の服務宣誓を紹介している。

「私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令、条例および規則を遵守し、なにものにもとらわれず、なに ものをもおそれず、なにものをも憎まず、良心のみに従って不偏不党かつ公平中正に警察職務を遂行することを 厳粛に誓います。」

(注1)これを見失うなと繰り返し述べているが、その仙波さんに判決確定後、匿名の警察官から感謝の手紙が 届いた。さらに警察学校の入学式で、「愛媛県警にはまだ裏金があるのですか?」との質問が出たことを紹介し、 仙波さんは、時代が大きく変わったと述べている。

本書はまさしくそのことを確信させてくれた。特に90年代以降、退職警官のさまざまな告発、そしてついには 現職警官の史上初めての勇気ある告発が、時代を大きく変える役割を果たし、それは手紙を出した警察官にとど まらず、多くの警察官にも、そして警察の民主化を願う私たち国民にも小さくない希望を与えるものとなった。

(注2)仙波さんも紹介している松橋忠光の「わが罪はつねにわが前にあり」の中で、同じく原点として、この 宣誓書のことが書かれている。昭和29年の国家公安委員会規則第9号として、紹介されているものには、仙波 さんが紹介した宣誓書の「命令、条例および規則を遵守し、」がない。松橋は、「上司の命令に従い」の文言が 入った一般国家公務員の宣誓書と比較して、その文言がなく「何ものにもとらわれず…良心のみに従い」として いる警察官の宣誓書の意義を強調している。いつから、「上司の命令に従い」の主旨の文言が入るようになった のか、調べてみたい気持ちになった。


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● ドキュメンタリ宣言「さらば警察」を観て思うこと

戸松孝夫

1.この番組を観るのは初めてだったが、良心的で真面目な報道番組であることを発見。そもそも僕は民放を殆ど 観ないので正しい評価は出来ないが、民放にしてはめずらしく(偏見に基づく誤解かな?)、社会問題を真っ向か ら取り上げているように感じた。

2.4年半かけて愛媛県警に対して地道な密着取材・追跡調査をしてきたことを高く評価したい。最後に愛媛県警 察への質問状と、それに対する余りにもふざけた回答で締めくくったのは、視聴者に県警のいい加減さを印象付け るのに効果的だった。県警は慰謝料の百万円の受け取りを拒否されたまま謝罪することもなく、一件落着と考えて いるのだろうか?

3.裏金に手を染めていたと告白した原田宏二氏という道警の最高幹部が2度登場しているが、これは以前に聞い たような人名なので、一昨年頂いていた「警察見張番だより」(2007年2月号)を読み直してみた。「明るい警察を 実現する全国ネットワーク」代表であることが分かった。 一昨年私が、あるMeetingを設定した時に、「北海道から元道警の人が来るから参加出来ない」と生田さんに断わら れた記憶があるが、今思えばその方は原田宏二氏だったのかもしれない。

4.仙波さんの魂を長年支えてきた奥方は、8年前に他界されているので動く映像が出てこなかったのは当然とし て、もう1人の支えであり、昨年10月心筋梗塞で突然死された高校同期生・東玲治氏の元気な映像が再三登場し たのは感慨深かった。氏は「仙波さんを支える会」会長として紹介されているが、どういう分野の人かの説明が不 足していたのは残念だった。

5.最後に一緒に観ていた女房の感想は、
@表面だけ正義感に溢れているように格好良く振る舞いながら裏では何をやっているかわからない偽善者が多い中 で、仙波さんは心底から「正義感の塊まり」のような印象を受けた

A短いTV放映で正しい判断は下せないが、TV画面で写し出される彼の眼、表情から見る限りは、彼は我々凡人とは 異なる「魂のレベルが極めて高い人種」と思われる。クリスチャンの立場から言えば、彼はマルチン・ルター、シュバイツァー、 キング牧師、マリア・テレサの部類で、偽領収書に判を捺さなかったのは、正しいと信じる道を選んで敢えて十字架に架け られたキリストに共通する。

B「もう一度警察官をやりたい、42年でも」との発言は、かけひきのない本心だと思う。正義の警察官に誇りを 持っていたから。

以上


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*****編集後記*****

 現職警官で内部告発した只一人の人・仙波敏郎さんが2009年3月31日に退任なさいました。
敢えて「無事退任、おめでとうございます」と申し上げます。

  仙波さんから送られてきたメールに「31日の県警本部のセレモニーでは、職員の送別は中止となりました」 とあったからです。これは仙波さんへの最後の嫌がらせではないかと私は考えました。そこで、なんとしても 神奈川から駆けつけ、花束を贈りたいと心に決めました。

3月31日、午後4時頃、仙波さんが県警本部の建物から姿を見せました。その場所に大きな拍手と歓声がど よめきました。私も大きな声で「仙波さ〜ん、おめでとう!」と叫びました。私達以外にも、大勢の方々が駈 け寄り仙波さんに花束を渡します。仙波さんが持ちきれなくなった花束を側にいた私達が持ちました。もう、 みんなが声を上げ、テレビカメラが動き、騒然とした中で仙波さんが涙ぐみながら、「みなさんありがとう、 ありがとう!」を繰り返していました。素晴らしい仙波さんの退任の日でした。

       「見張番だより」30号では、その場へ参加できなかった会員やその他の方々に、その時の様子をお知らせし たいと考え、いろいろな角度から、それぞれの方の思いを込めて、皆さまにお届けすることにいたしました。

午後4時頃から仙波さんが県警本部前に、出ていらっしゃる場面は、その後仙波さんから頂いたDVDに記録 されています。8月1日の「見張番総会」では、そのDVDを参加者の皆さまに見ていただく予定です。

愛媛での集まりは、「仙波敏郎さんの退職を祝う会」(本紙P4参照)の前に、「東玲治さんを偲ぶ会」が、 ありました。東さんは、仙波さんを支え続けた方で、「仙波さんの退職を祝う会には、絶対来てね」と何度も 念を押されていました。

その東さんが亡くなった、という突然の連絡を受けた時の衝撃と悲しみは、今でも胸に残っています。 (「見張番だより」28号編集後記参照)

その集まりの日、「偲ぶ会」の司会は仙波さん。見事な進行ぶりでした。仙波さんは、時々東さんのお墓へ 報告に行かれるそうです。私も、愛媛で東さんのお墓参りをした時に、お墓に触りながら「東さん、愛媛に 来たからね」と話しかけました。

今や、仙波さんの勇気と繊細な心の有り様に対して、マスメディアを含めて多くの方々が拍手を送り感嘆し ています。私たちも、沢山の勇気を頂きました。更に手を携えて、私達の住む社会がより良いものになって いくように、皆さまと共にガンバッテいきたいと思っています。

(生田典子)


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