警察見張番だより 第38号
(2012.04.28.)

*

***38号もくじ***
●相川さんを敗訴させた不当判決 ・・・・・・・鈴木 健

●相川さん陳述書 ・・・・・・・

●森川さん人事委員会審理状況報告 ・・・・・・・鈴木 健

●森川岳幸君の尋問を傍聴して ・・・・・・・原田絵子

●例会開催のお知らせ ・・・・・・・事務局

●<投稿>峠を越えて ・・・・・・・瀬戸雅巳

お読みになりたい項目は、目次名の上でクリックしてください

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 ●相川さんを敗訴させた不当判決

(鈴木 健)

 

 神奈川県警の現役巡査部長相川忠夫さんが、平成23年3月24日、神奈川県勤務成績不良 職員指導・教養実施要項に基づいて勤務成績不良職員と指定されたが、地方公務員法では、不 利益処分がされ、処分事由説明書の交付を請求された場合、15日以内に文書で交付しなけれ ばならないことになっているところ(49条1〜3項)、当該巡査部長が交付を申請したのに 対し、県警が交付を拒絶したため、県警を相手取って、違法確認と慰謝料請求を求める訴訟を 横浜地裁本庁に提起した事件の判決が、平成24年3月29日午後1時30分、横浜地方裁判 所で言い渡された。

 結論は、違法確認については却下、慰謝料請求については棄却というものだった。

「却下」と「棄却」は、原告の請求を退ける意味では同じであるが、「棄却」が、中身の判 断として原告の請求を退ける判断であるのに対し、「却下」は、中身の判断に立ち入るまでも なく請求を退ける場合に使われる用語である。

 それでは、横浜地方裁判所第7民事部が、どのような理由で相川さんの請求を退けたのかに ついて、以下に解説する。

  • * まず、相川さんが処分事由説明書の交付を請求した法的根拠は、地方公務員法49条1項 「任命権者は、職員に対し、懲戒その他その意に反すると認める処分を行う場合においては、 その際、その職員に対し処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない。」2項「職 員は、その意に反して不利益な処分を受けたと思うときは、任命権者に対し処分の事由を記載 した説明書の交付を請求することができる。」である。

     そして、本件の違法確認の訴えの法的根拠は、行政事件訴訟法3条5項の「不作為の違法確 認の訴え」である。処分事由説明書の交付を請求したのに県警が交付を拒絶したことは、やる べきことをやらなかった「不作為」に当たる。

     そして、同項では、「不作為の違法確認の訴え」とは、行政庁が法令に基づく申請に対し、 相当の期間内に何らかの処分又は裁決をすべきであるにかかわらず、これをしないことについ ての違法の確認を求める訴訟をいう、と定義されており、申請の対象となる行為は、行政庁の 行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが 法律上認められているもの、あるいは、その行為により、他の不利益な処分を受けることにな るという効果をもたらすものをいう、と解釈されている(最高裁昭和39年10月29日判決 など)。

     まず裁判所は、処分事由説明書の交付を申請する法令上の申請権があることは認めた(県警 側は、処分事由説明書が交付されなくても、不利益処分の該当性又は処分事由の存否について の審査請求をすることは可能であるから、法令上の申請権が認められているとはいえないと主 張していたが、この主張は退けた。当然である)。

     しかし、処分事由説明書の交付行為それ自体は、原告(相川さん)の権利義務を形成し又は その範囲を確定するものではなく、単なる事実行為に過ぎないから、処分性を認めることはで きないと判示し、それを理由に、本件確認の訴えは不適法であり却下を免れないという結論を 導いた。つまり、処分事由説明書を交付しなかったことは、直接相川さんの権利義務に影響を 及ぼすわけではない、という理屈である。

    そして裁判所も、さすがにこれだけではいかにも形式判断だと批判されるのを恐れたのか、 本件では原告被告双方が、勤務成績不良職員の決定ないしその決定の継続の処分性について主 張していることを理由に、この点についての判断もなされた。

     しかし、勤務成績不良職員としての決定を受けた職員には、職員の初任給・昇格・昇給等に 関する規則35条1項5号が適用され、昇給区分Eに該当し昇級の対象とならず、夏期及び冬 期に支給される一時金が低くなるなどの不利益が生じる点については、昇給させるか否かは任 命権者に判断権があるのであり、原告に昇給請求権があるわけではなく、また、当該職員が勤 務成績不良職員であると決定されたか否かによって支給の額が決められていると認めることは できないから、具体的な処分が存在したとはいえず、結局、不利益処分はないと判示した。

    慰謝料請求の点に関しては、処分事由説明書を交付しないことが違法でない以上、不法行為 とはならないことを理由に、棄却という結論を導いた。

  • *  判決を読んで思うのは、横浜地裁は、最初から相川さんを負かそうと決めていたのではない かということである。

    処分事由説明書を交付しなかったことが直接相川さんの権利義務に影響を及ぼすわけではな いというのがいかにも形式判断であると同時に、勤務成績不良職員としての決定を受けたから といって必ずしも支給の額が決まるわけではないというのも、立派に形式判断である。実際の 運用としては、勤務成績不良職員としての決定を受けた職員は昇給区分Eに該当し昇級の対象 とならず、昇給区分A〜Dに該当するとされた職員は、該当区分ごとの昇給がなされているは ずだからである。

     何よりも、法律の条文として「処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない」と 記載されているのに、裁判所が「交付しなくても違法ではない」というのは、本当に恐ろしい 話である。この条文を法律家以外の一般の方が読んだら、100人中100人が、交付しない ことは違法であると考えるに違いない。弁護士である私が言うのも何であるが、昔から「法律 家は悪しき隣人」と言われるように、一般の方には理解できない法律家なりの理屈を振り回し、 自己満足している判断の典型であると思われる。

  • *  判決後相川さんは「負かされるにしても、自分に納得が行くような理由で負かされたのであ れば仕方ないと思うが、今回の理由では納得ができない」と話され、東京高裁に控訴すること を決めた。

 控訴審での審理の展開についても、今後の見張番だよりで適宜ご報告していく予定である。

(以上)


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●相川さん陳述書


 以下に、相川さんのご承諾を得て、裁判所に提出した相川さんの陳述書を掲載させていただきます。
  1.  私の経歴 私の警察官としての勤務履歴は以下のとおりです。
       
    • 昭和51年1月6日 神奈川県巡査に任命、神奈川県警察学校に入校を命ぜられる。  
    • 昭和51年6月24日 横須賀警察署勤務を命ぜられる(外勤)。  
    • 昭和52年5月1日 巡査長を命ぜられる。  
    • 昭和52年10月1日 神奈川県巡査部長に任命され、寿警察署勤務を命ぜられる(外勤)。  
    • 昭和57年4月24日 川崎警察署勤務を命ぜられる(外勤)。  
    • 昭和60年7月12日 兼ねて葉山警察署勤務を命ぜられる。  
    • 昭和60年9月13日 港北警察署勤務を命ぜられる(外勤)。  
    • 昭和61年3月22日 管理係に配置される。  
    • 平成4年10月8日 相模原南警察署勤務を命ぜられる(地域)。  
    • 平成12年1月4日 地域企画係に配置される。  
    • 平成13年9月13日 管理係に配置される。  
    • 平成16年3月22日 地二(交番)に配置される。  
    • 平成17年11月24日 地域企画係に配置される。  
    • 平成20年3月3日 小田原警察署勤務を命ぜられる(刑事第一課鑑識係)。  
    • 平成20年4月1日 刑務課刑務係に配置される。  
    • 平成21年9月29日 平塚警察署勤務を命ぜられる(地域課企画係)。

  2.  私が考える県警の問題体質
     私は警察官の仕事は社会的に必要なものだと思っています。しかし、警察官になってみて、「これはお かしい」と思うことは、どの警察官にもあることだと思います。  私が神奈川県警警察官になってからおかしいと感じたことの例を2つ挙げます。
    • (1)防刃衣
       いつの頃からかはっきり覚えていませんが、全国の現場の警察官は業務時間中、制服の上に防刃衣を常 に着用するようになりました。

      防刃衣とは、刃物による攻撃から身を守るための防具ですが、日本の警察が採用しているのは、金属板を 縫い合わせた、重量が10キログラム以上もあるものです。これを着用していると、着用しているだけで 体力を消耗し、腰痛の原因にもなります。当然、警察官の身体の動きは鈍くなり、追跡行為にはかなりの 制約になります。

      防刃衣は身体を守るための万能衣ではありません。対応できるのは刃物だけです。銃弾を防ぐことは出来 ません。刃物にしても、防刃衣はベストですので、肩、脇腹、背中上部などは無防備です。つまり、刃物 を持って襲いかかって来た犯罪者に対しうまく立ち回らないと大怪我をする危険性があります。

      さらにそもそも日本では、警察官が突然、刃物で切りつけられるような事件はほとんどありませんから、 日本中の警察官が常に防刃衣を着用している必要がありません。刃物を持った者が暴れまわっている現場 に赴くときだけ簡単に着用できるものがあれば足ります。

      このようなことは現場の警察官ならだれでもわかっていることです。それでも防刃衣が全国の現場の警察 官の職務で着用されているのは、警察トップが現場の警察官の苦労を考えていないからです。 このような防刃衣は身体に悪いですし、不合理ですので、私は着用を拒否しています。

    • (2)交通反則切符と職質のノルマ体質
       県警には、交通反則切符や職務質問で犯人を挙げるノルマが存在します。交通違反切符では、陰に隠れ ていて些細な違反を見つければ、やり過ぎだと思っても、直ちに反則切符を切ります。自転車の職質検挙 では、警察官1人当たり月1件〜2件挙げなければならないノルマがあります。検挙件数、検挙率を意識 してのことでしょうが、「自転車(職質検挙)をやらないやつは警察官ではない」といわんばかりの雰囲 気です。

       私は、すべての職務質問が悪いことだと考えているわけではありません。ノルマを挙げることばかりが 目的になっていて、空き交番だらけになってしまうことが問題なのです。私が交番勤務のときは、交番を 訪れる市民の方に対する対応を優先して勤務していました。

  3.  私が勤務成績不良警察官に決定され、継続されてきた経緯
    • (1)「検挙対策実践塾」
      平成17年6月21日、「検挙対策実践塾」という研修に出席させられました。これは、「各警察署の交 番、パトカー及び駐在所に勤務する地域警察官のうち、犯罪検挙実績の低調な勤務員を本部に直接招致し、 実践的な指導教養を行うことによって、勤務員個々の意識改革と執行力の強化を図ること」を目的として 行われるとのことで、恐らく、上記の理由で前年私が1件も自転車職質検挙をやらなかったことを受けて のことだと思われます。

       その研修の面接の席で、私は、前項で述べた、防刃衣の着用、職質のノルマ体質に対する疑問を述べま した。  このとき、私は相武台交番に配属されていたのですが、面接の翌日から、県警本部地域指導課から指導 官の警部2名が監察に来るようになりました。

    • (2)勤務成績不良警察官に決定
      翌平成18年3月9日、私は、勤務成績不良警察官に決定された旨告知されました。恐らく、上記の平成 17年6月21日に行われた研修における私の発言を問題視してのことだと推察いたしますが、決定した 理由は告げられず、理由書も交付されていないので、本当の理由は分かりません。

       何がどう問題なのかを指摘する上司はひとりもいません。これでは、私としては何をどうすればよいの かわかりません。

    • (3)勤務成績不良職員の継続決定
      その後、私は、下記のように5回、勤務成績不良職員の継続決定がなされています。
          
      •  継続1回目 平成19年4月6日   
      •  継続2回目 平成20年2月25日   
      •  継続3回目 平成21年3月18日   
      •  継続4回目 平成22年3月8日   
      •  継続5回目 平成23年3月24日
      決定が継続されるときは、口頭で告知されるだけです。継続2回目のときは、決定書のコピーはもらえ たのですが、その他のときは決定書のコピーさえもらえず、理由は全く知らされておりません。この間も、 何がどう問題なのかを指摘する上司はひとりもいません。私としては何をどうすればよいのかわかりませ ん。
    • (4)私に対する指導・教養
      私は勤務成績不良職員に決定され、継続されてきましたが、この間、私に対する指導・教養は全くされて おりません。全くされていないのですが、この5年余りの間に、形式的に、「指導・教養記録表」(第4 号様式。甲1)を14回書いたことがあります。
    • (5)私の仕事
      平成20年3月3日、小田原警察署刑事第一課鑑識係に配属されましたが、鑑識係長からは「鑑識の仕事 を何でも教えます」と言われました。しかし、定年間近の私に専門性の高い鑑識の知識を身に付けるのは 無理です。それで与えられた仕事が、被疑者の身上照会をすることだけでした。1か月して、配属は警務 課警務係に移りましたが、机の場所は刑事第一課鑑識係のままで、やる仕事は同じでした。
    • (6)廊下にある私の机
      平成21年9月29日、平塚警察署地域課企画係に配属されましたが、地域課企画係には自分の席はなく、 2階の刑事課鑑識係に自分の席がありました。机の周りに衝立が立てられており、周りから隔絶された雰 囲気でした。そこでやらされたことは、地図上、窃盗事件の発生した場所にシールを貼っていく作業でし た。

       あまりの閉塞感に我慢ができなくなり、「こんなところにはいられない。廊下でもいいから出してくれ」 と言ったところ、すぐに廊下に机が置かれるようになりました。以後、現在まで私の机はずっと廊下のま まです。

       その後、1ヶ月に1回、「交番だより」を作っています。その他はただ自分の机の椅子に座っていたり、 散歩をするだけで、警察官としての職務は全く与えられていません。

    • (7)5回目の継続決定
      平成23年3月24日、県警本部長から、平塚警察署長を通じて、勤務成績不良職員が5回目の継続とな る旨の告知がされました。
    • (8)処分事由説明書の請求と交付拒否
      今回の決定を受けたあと、弁護士さんから地方公務員法上、処分事由説明書の交付を求めることができる ことを教わり、平成23年4月18日、県警本部長に対して、処分事由説明書交付を求めました。私は当 然、説明書を交付してもらえるものと思っていました。ところが、県警本部長は、私の請求を拒否しただ けでなく、平塚署地域担当次長(警視)に指示して、「勤務成績不良職員の指定は不利益処分に当たらな いから、文書回答はしない」と私に告げました。

  4.  精神的苦痛
    私は「今年もか」と思い、精神的にはいくらか慣れっこになっていた面もありましたが、警察組織に「警 察官として問題がある」という烙印を押されることは、極めて屈辱的で不名誉なことです。辛いことです。 同時に、初任給・昇格・昇給等規則第35条第1項第5号が適用され、昇給区分Eにより昇給しないとさ れ、夏冬の一時金(ボーナス)を低くされています。家族には申し訳ないと思っています。

     県警本部長が、私の何を問題にしているのかがはっきりわからなければ、私は何をどうすればよいのか わかりません。前記のような私の問題意識がよくないというのであれば、どのように間違っているのかを 納得できるよう、だれかが説明してくれればよいのです。しかし、だれも教えてくれません。だれもがお かしいことに気づいているからです。「おかしい」と声を挙げた者だけが上から白眼視され、周囲の警察 官は黙って観ているという職場環境はとても不健全です。考えれば考えるほどおかしいです。

     「勤務成績不良職員に決定することが本人にとって不利益ではない。だから、理由を説明する必要など 無い」と言いますが、それでは、本人は理由がわからないのですから、改善の努力のしようがありません。 まるで自分から警察官を辞めて行けといわれているようで、とても悔しいです。

    裁判所には、私が勤務成績不良職員に決定されたことが不利益処分であることを認定していただき、県警 本部長が処分理由を私に示さないことが違法であることを、はっきり認定していただきたいと思います。

以上


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● 森川さん人事委員会審理状況報告

鈴木 健

 警察見張番で支援している、神奈川県警の森川岳幸警察官が分限免職の処分を受けたのを不服として 神奈川県人事委員会に対し免職処分取消の審査請求をしている事件の関係で、平成23年11月29日 及び平成24年1月31日の2回に渡り、証人尋問が行われた。

 最初の期日には、県警側の証人3名の尋問が行われた。1人は、当時相模原南警察署において森川さ んの直属の上司だった乙坂課長、1人は、不良警察官に認定された森川さんの人事管理担当者に任命さ れた佐藤課長、1人は、森川さんの分限手続に中心的に関わった川瀬課長代理。

第2回の期日には、森川さんが不良警察官に認定された後、直接の指導係として配置された西班長と、 県警内部の問題体質を明らかにすべく、申立人側の証人として相川忠夫さんが出廷し、さらに、森川さ ん本人の本人尋問が行われた。

尋問の結果浮き彫りになったのは、現場である相模原南警察署と、県警本部警務部(一般の会社でい うところの人事部)との温度差だ。

 すなわち、森川さんの直属の上司であった乙坂課長と、不良警察官に認定された後直接の指導係とし て配置された西班長は、森川さんにとっても尊敬すべき上司であった。それゆえか、尋問に対する回答 の姿勢も、人柄の良さが滲み出るような態度であったが、そこはやはり組織として、森川さんが至らな い警察官だということを強調しなければならない立場だったからか、(既に証拠として提出されている 書面の内容以上に)森川さんの勤務実績を悪く言わざるを得ず、良心の呵責に苛まれているような印象 が際立った。

 これに対し、森川さんの人事管理担当者だった佐藤課長と、森川さんの分限手続に中心的に関わった 川瀬課長代理の尋問結果は、官僚答弁のような内容に終始した。

佐藤課長は、そもそも人事管理担当者に選任された後の数ヶ月、警察大学校に出向しており、神奈川 県警として、真に森川さんに対し指導・教養するつもりがあるのか全く疑わしいような人事であった。 実際、指導・教養計画書も規定どおり作成されていないし、その後作成された指導・教養事項報告書も、 佐藤課長が先に指導・教養状況欄を先に記載し、それを森川さんに渡して、指導・教養事項欄を埋めさ せるような、いい加減なことをしていた人物である。

 また、川瀬課長代理は、森川さんが不良警察官に指定されたころから警務部として携わっており、分 限審査委員会に対し、公平な目で申立書を上げられるような人物ではなかった。分限審査の口頭審理に おいて、森川さんが、分限理由として挙げられた10数個の事実に関し、かかわった警察官の証人尋問 を請求したが、取り上げられたのは相川巡査部長だけであった。そして尋問の結果、かかわった警察官 に対しては自分が直接確認したので問題ないと回答する始末で、これでは、言い分が食い違うことにつ いては森川さんの言い分よりもかかわった警察官の言い分の方を信用し、口頭審理の意義を没却する出 来レースであることを自白したようなものである。

 森川さんの分限理由のうち、時系列的に一番最後に挙げられているのが国外無断海外旅行なのである が、その事実が発覚した後も、相模原南警察署においては指導・教養計画書が作成されていたし、国外 無断海外旅行したことに対する訓戒書も、「同様のことが繰り返された場合には分限処分がなされる可 能性があります」としか記載されていなかったのである。

 それなのに、上記のようなおざなりの手続の結果森川さんが分限免職処分を受けたのは、国外無断海 外旅行したことが県警本部のお偉方の誰かの逆鱗に触れた結果であることは疑いない。

 弁護団としては、これらの事実を詳細に主張した最終準備書面を提出し、4月16日の口頭審理を経 て、手続は終了した。

 裁判所における判決と違い、決定書の交付時期は事前に明らかにされない。清水勉先生が他の県の人 事委員会審理を担当されたご経験では半年から1年くらいかかったということであった。いつ結論が出 るかは分からないとしか言いようがないが、結果が出次第、この見張番だよりでご報告させていただく 予定である。

以上


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● 森川岳幸君の尋問を傍聴して

(原田 絵子)

 平成24年1月31日、約2年間審査請求を行って来て、請求人森川君の尋問と言う大詰めの日が いよいよ来たと言う感じでした。 会場の中はもっとぴりぴりした感じかと思っていましたが、何時 もと変わらず、森川君も落ち着いた感じでした。

 午前中は警察側の西班長の尋問に続き、森川君側の相川巡査部長の尋問が行われました。西班長の 事は森川君から少し聞いていたのですが、実際拝見して、とても落ち着いた方だと印象を持ちました。 尋問中も終始落ち着いて発言をしていました。

 次に森川君側の相川巡査部長の尋問が始まりました。森川君の側近にいた事もあってか、とても分 かりやすく聞く事が出来ました。

 昼の休憩を挟み、森川君の尋問が始まりました。 弁護士の質問を冷静かつ大きな声でしっかりと 答えていて、好印象を受けました。

 話がそれますが、森川君が尋問を受けている最中、審査長は居眠りをしていました。こんな事があ って良いのかと考えさせられました。

 そんなこんなで森川君の長時間の尋問は終わりました。森川君の尋問の最中、西班長が傍聴側から ずっと観ていました。 どんな気持ちでいたのでしょうか。

(以上)


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● 例会開催のお知らせ

 相川さんの裁判の結果については別稿で述べましたが、相川さんは、今年の3月31日、 無事に60歳の定年を迎えられ、神奈川県警を退職されました。

 そこで警察見張番としては、相川さん長年お疲れさまでしたという労いと、併せて、現職 警察官であるうちには言えなかった、在職時の色々な苦労話、裏話を気軽にしていただく例 会を開催したいと思います。面白いお話が聞けることは間違いありませんので、皆さま、奮 ってご参加下さい。

  • とき:2012年5月22日(火)18時30分〜
  • 場所:かながわ県民センター402号室
  • 電話 045-281-0708

(以上)


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● <投稿>峠を越えて

(瀬戸 雅巳)

私は、1988年9月、山梨県の過疎の山里へ一人旅をした。 朝、山あいの里を車で通ると、橋の袂で一人、曲がり坂で一人、大きな木の下で一人と、土建会社の マイクロバスに乗り込む4・50代の女性の姿を見た。生活のために土方仕事に行くのである。

働く所が少ないのだ。「大変だな−、生きるために、みんな一生懸命働いている」少し進むと、岩舟 地蔵尊の看板が目に止まった。私は、仏教や仏像に関心があるので車を止めた。

地蔵堂入り口の横に、二つ折りにしたムシロを敷き、その上に正座をし、刈り取ったゴマの草を大・ 中・小と整理している60代の農婦がいた。紺のモンペに頭に手拭いをかぶり、せっせと働いていた。

「こんにちは」私はおばさんに声を掛けた。
おばさんは、「はい、こんにちは」と私を見て答えた。頭に被った手拭いの間から見えた顔は、誠実 でやさしい顔立ちだった。「おばさん、ここのお地蔵さんは、どんな御利益があるんですか」と尋ね ると「地蔵堂の前に新しい案内板ができて、そこに詳しく書いてありますよ」とやさしく答えた。

ゆるい下り坂を30メートルほど行くと、谷間の川の岸壁の上に4畳半ほどの木造作りの地蔵堂があり、 中に石のお地蔵さんが祀られてあった。案内板には、江戸後期に栃木県岩舟地蔵尊の念仏踊りの一団が、 信州から甲斐の国に入り、当村で念仏踊りをしたのが縁で、分霊し、創建したと記されてあった。

「願い事なら岩舟地蔵様よ。昔・昔から孫・子の代まで言い伝えられてきた」とあった。地蔵堂を後に して、おばさんの所にもどった。

初めて見る私に、おばさんは「何処から来ましたか」と訊ねた。私は、「昔話しにある足柄山の金太郎 が居た所です」と答えた。おばさんは、「ここは過疎の土地で、若い人達は働く所が少ないので東京や 横浜や静岡へ働きに出ているよ」「本当は、子供や孫と一緒に暮らしたいが、そうもいかないんだ」と 寂しそうに言った。

「私も若い頃は、土方仕事にいっていたけど、体をすっかり悪くしてやめたよ。今は、腰が痛くて」と 言って右手で腰をさすった。また「一ヶ月2、3万円の国民年金では食べていけなくて、明日の事を考 えると心配なんだ」と不安顔で話した。

畑仕事のお茶にと持ってきた缶ジュース一本を私に差し出し「飲みながら話しましょう」と言いきな粉 アメを私の手の平にのせた。おばさんは、初めて会う私に心を開き、いろいろ話した。

「選挙の時にお金を撒いている人も居るよ」とこっそり言った。「おばさん、そういうお金を貰っては いけないよ」「この辺は田舎で周りと同じにしてないと村八分になるよ」「日本にはそう言う気風が多 く残っていますが、悪いものは悪いと言わないと、世の中良くならないでしょう」「そうだよ、あなた の言う通りだ」この頃、山梨県を地盤に選出されている金丸信がゼネコン疑惑で逮捕され、自宅地下室 から、金・銀・財宝や隠しカネが多数出てきた。とニュースになった後だった。

おばさんは「誰を信じていいか分からないよ」と肩を落とした。
おばさんと話していると、杖をついた80代のおじいさんがよろよろしおばさんの前で止まり、厚いレ ンズの眼鏡を通し、おばさんの顔をじっと見「おお、誰かと思ったら、おみっちゃんじゃあないか、こ んな所でなにしてるだー」「店出してるだー」おじいさんは、よく聞こえなかったらしく「えーっ」と もう一度聞いた。おばさんは、もっと大きな声で「店出しているだー」と答えた。

「あーそうか、そうか」と おじいさんは言うと「オレはもうダメだ、あっちさ行くだ」「あっちさ行 ったら、もう、帰って来られんでー」「うんだなー」と言うと おじいさんはふらふらしながら、来た 方とは別の方へ歩いて行った。

「おばさん、ごちそう様でした。きっと、家族みんなで暮らせる時が来ますよ」「そうなるといいんで すがね」「ごちそう様でした。おばさん元気で暮らして下さい」そう言って別れた。

9月の初秋の風が時折吹き、木々の青い葉がさらさらと揺れ、空はどこまでも青く、山々は雄大に聳え ていた。

家に帰って考えた。− 縁あって結ばれ、山里の土地で働き、生きて来たおばさんに、励ましの歌を作 り贈りたいと思い詞を書き歌を作った。(東京の音楽家に編曲とプロ歌手に歌って頂いたテープができた)

6ヶ月後、歌を持っておばさんの暮らす山里へ車で向かった。
どこの家か知らないので、道を通ったおばさんに聞いた。家は留守だった。足の向くまま行くと、山の 斜面の畑に出た。おばさんらしい姿をした人が、茶畑の草むしりをしていた。近づき声を懸けた。

「こんにちは、おばさん」頭に被せた手拭いの間から私を見上げた。「ああ、いつかの人だね」 6ヶ月前に会った私を覚えていてくれた。

私は、以前、お茶をごちそうになったお礼を言い、訳を話した。「おばさんがあの時、地域や暮らしの 事や思いを話してくれたので、いろいろ、よく分かりました。一生懸命働き、正直に生きて来たおばさ んに人生の歌を作り、贈りたいと思い、励ましの心を込めて作りました。

今日3月1日、春の良き日なので、歌を持って来ましたので聴いて下さい」そう言うと、おばさんは、 ビックリした。

畑の中に通る細い道に立ったおばさんに、「これが詞です。読んでみて下さい。」と紙を差し出すと、 声を出し詞を読んだ。

「これは、私の気持ちにピッタリです」と言った。私は、上着のポケットからカセットテープを取り出 した。 白地に赤い線の入ったティッシュペーパーの空箱で作ったカセットテープ入れの箱に水色のリ ボンを付けたテープ入りの箱を差し出すと、おばさんは、表彰状を受け取るように深々と頭を下げ、両 手を前に出し、受け取った。

私は、ウォークマン(テープを聴く機械の名前)にテープをセットした。道端の石の上に腰を降ろした おばさんは、イヤホンを耳に入れ、頭にかぶった手拭いを首に掛けた。「いいですか、始まりますよ」 の声にスイッチが入った。

おばさんは声を出し、テープの歌声と一緒に歌い出した。一番が終わり、二番に入ると、おばさんの目 から涙があふれ頬を伝い紺のモンペに落ち、すっと、吸い込まれていった。おばさんの歌声が、静かな 山の畑の中に流れた。

おばさんは、泣きながら三番まで歌いつづけた。♪野花咲いてる この里で いつかみんなで暮らしたい ♪今日も夢をみた 母さんは歌い終わると「うれしいよ。こんなにしてもらって、これは私の宝だ」と 言い、しくしく泣いた。

「よかった。おばさんに気に入ってもらって、安心しました。」と言った私に、おばさんは、「全国に は、私と同じ境遇の人はいっぱい居るでしょう。先日も、トンネルの向こうに住む80歳の一人暮らし のおばあさんとお茶を飲みながら話しをして、これからの事を考えたら、心配で二人で泣いてしまった んです」と泣きながら言った。

私は「そうですか、東京に住もうとも、田舎に住もうともみんなが安心して暮らせる世の中にしなけれ ばいけませんね」「そうだよ。あなたの言う通りだ」と言うとまた泣いた。 そして「お金がかかったでしょう」と心配した。「お金の話しはぬきですヨ」と私は、すぐに答えた。

「家に寄って、お茶を飲んでいって下さい。」「はい。寄らして下さい。」共に立ち上がり、畑の中の 細い道を歩いて家に向かった。

玄関に入ると昔ながらの8畳間ほどの土間だった。壁には筆で「生涯教育」と書かれた紙が貼られてい た。「おばさん、これは娘さんがしたんですか」「いいや、私がボケちゃあいけないと思って、やった んです」奥の台所で答えた。

二間つづきの部屋の間には、建具の代わりに、厚さ30センチメートルの倉型の扉が付けられていた。 「おばさん、この倉型の扉はなんですか」「この辺は、水が谷の下を流れているので、水が大切なので、 火災の時、家を少しでも守るため、その扉を閉めるんです。天井には厚さ5センチメートルほどの土が ひいてあるんです。」と説明した。集落の神社も蔵造りだった。

奥の台所で、お茶の支度ができたようで「どうぞ、上がって下さい」と言われた。黒くくすんだ仏壇の 前のコタツに座り、お茶を頂き、一時間ほど世間話しをした。

「ごちそうさんでした」と席を立った私に、「なにか持っていってほしいけど、家は貧乏で持っていっ てもらうものが無いので、これを持っていって下さい」

「なにもいりません」と言う私に布でできた手作りの鳥の置物をビニール袋に入れ差し出した。 「私が持っていってしまうと無くなってしまうヨ」と遠慮する私に「持っていってもらいたい」と私の 手に、ビニール袋を握らせた。私は、お礼を言って、頂いた。

玄関の土間に立つと、おばさんは玄関の上がり段に正座をし「ありがとうございました。」と深々と頭 を下げ、礼を言った。

「この近くを通ったら寄らして下さい」「ハイ、何時でも寄って下さい」の言葉に贈られて庭に出た。 庭の隅に飼われている白い数羽の鶏の一羽がコッコッコッと鳴き、羽をバタッバタッとならした。

おばさんと初めて会った地蔵堂の前の高さ2メートルほどの梅の木は、白い花をいっぱい付け、山里に 住む人達に春を告げていた。

おばさんに贈った歌「母さんの道」を車内で聴きながら急な上り坂のつづく本栖道の峠に入った。峠の 空気は冷たく、山に根を下ろした木々に、青葉・若葉は、まだ、無かった。

峠のトンネルを抜けると、正面に春の富士山が見えた。その富士山がキラキラ光る菜の花の色に見えた。 「おお、きれいだ」私は、思わず声をあげた。
美しい富士山の写真を一枚撮り、家路に着くハンドルを、また握った。

(出会いの中の、一場面)

「おばさん、子供さんが小遣くれるでしょ」と聞いたら「いいやダメだよ。かかりのする子供がいて、 むこうも大変なんだ」と寂しい顔で言った、おばさん。

老人会で神奈川のある温泉に行った時、道路にずっとつながっている車を見て、「あんなにいっぱいの 車を見たのは、生まれて初めてだよ」と驚いていた、おばさん。
「きっとお地蔵さんがあなたに会わせてくれたんだ」とにっこり笑って言った、おばさん。

23年前、おばさんの住む下部町の65歳以上の一人暮らし、二人暮らしの家は町全体の20%だった が、その10年後には50%になった。

見知らぬ土地へ一人旅をして、めぐり合いの縁があり、おばさんと出会って、23年の月日が過ぎた。 おばさんは、今、86歳。杖を頼りにやっと歩くが、すっかり腰が曲がり、長年生きるために働きつづ けてきた苦労が、その姿から偲ばれる。

杖をついて、よろよろ歩いて来たおじいさんも、別の集落に住んでいて、明日の暮らしの事を心配して 一緒に泣いた、友達のおばあさんも、すでに旅立った。この世の無常を深く感じる。 * 「峠を越えて」から23年の月日が流れました。
生きるために、女の体で、土方仕事にもゆき、「一ヶ月2、3万円の国民年金では食べていけない」と 心配していた、おばさんの痛みや不安のように、今も変わらないのは、多くの国民の様々な痛みや不安 がつづいている事です。23年前に無かった、新たな国民の痛みや不安が政府や政府に迎合する政党や 政治家によって作られています。

学校を卒業しても働く場所も無い。派遣や請負労働で、働く人達の使い捨て。 経営が成りたたずのシャッター通り。後継者の育たない農業。生活できない年金。政府が作った赤字を 国民に押し付けた消費税。10年以上もつづく、毎年1万人以上の自殺者。

資本金10億円以上の大企業が保有する内部留保が266兆円(2011年度)。前年度比9兆円増。 10年間で90兆円増加した。

民間企業労働者の年間平均賃金は(2000年の461万円から2010年には412万円)へと約5 0万円減少。

阪神・淡路大震災17年後の今も、多くの人達に生活の苦難が続いている。等々。社会の不合理は拡大し、 主権在民の憲法の精神は未だに、実現していない。国民主権をないがしろにしている政治と共に警察法 や社会正義欠落の警察の姿も国民にとて不幸である。

警察見張り番の必要ない、社会にしたいものです。

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※この見張番だよりでは、皆様からの原稿を募集しております。投稿は、

ken-suzuki@bashamichi-law.jp まで。

(以上)


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